付 脚本編
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│  Himeyuri(ひめゆり)(「ひめゆり2014」改題)                           │
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ナレーション:「わたし達はこの5月、沖縄に修学旅行に行ってきました。5月15日から19日までの3泊4日。それはそれは素晴らしい4日間でした。どこまでも澄んだ青い空。エメラルドグリーンに染まるナガンヌの海。民泊での「おじい、おばあ」とのふれあい。興南中学校のみんなとの交流。帰りたくない、必ずまた来るよ、という思い。忘れられない青春の1ページがわたし達の記憶の中に書き加えられました。
 こんな素敵な思い出とともに、決して忘れられないのは「ひめゆり平和資料館」と「アブチラガマ」での強烈な体験です。昭和20年6月。太平洋戦争の末期。アメリカ軍の攻撃を受けた沖縄で、必死に生きようとしながら死ななければならなかった多くの人たちのこと。その悲惨な歴史をこの目で、そしてこの肌で感じ取ることができたわたし達にとって、平和であることがどれだけ大切なことかを知る貴重な体験となりました。
 今日、ご覧になっていただくのは「ひめゆり2014」。あの有名なひめゆり部隊を題材にした作品です。わたし達3年生がこの3ヶ月、心を込めて創りあげてきました。まだまだつたないところも多い舞台ですが、どうぞ最後までお楽しみ下さい。
 それでは開演いたします。

・スタッフ
 プロンプター・・・
 PA・・・
 BGM・・・
 照明・・・
 スポットライト・・・
 パワーポイント・・・
 衣装・・・
 メイク・・・
 大道具・・・
 小道具・・・
 背景・・・

・キャスト
「第1幕」
 知念光喜・・・
 少女1・・・
   2・・・
   3・・・
「第2幕1場、2場」
 先生・・・
 知念光喜・・・
 石嶺キヨ・・・
 石嶺サト・・・
 新垣トシ・・・
 上原ナカエ・・・
 負傷兵たちの声・・・
「第2幕3場」
 石嶺キヨ・・・
 知念光喜・・・
 将校・・・
 兵隊・・・
 母親・・・

「第1幕」・・・沖縄の観光地 そこを巡る3人の少女 幽霊として現れる少年兵。
(幕開き前に沖縄民謡が流れる。かぶさって旅客機の音。幕が開き少女123下手から。スポットライト。旅行姿で手に「るるぶ」や地図を持つ。スクリーンに映し出される沖縄の映像)

少女1:あー、やっと着いた。関空から1時間半。そこは南の楽園。
少女23:(声をあわせて)おきなわ!!
少女123:きゃあ!(口々に)着いた、着いた!
少女3:夢だったのよね、沖縄!
少女1:青い空、広がる砂浜、白い珊瑚礁!
少女2:そして、私を待つ恋のバカンス!
少女123:きゃあ!
少女1:(るるぶを見ながら)ねえ、ねえ、最初に、どこへ行こうか?
少女2:わたし、国際通りがいいなあ。ゴーヤーチャンプルーでしょう、沖縄そばでし ょう・・・、ほら有名なレストランがいっぱいあるのよ。
少女3:何よ、いま着いたばかりでもう食い気?
少女2:そりゃそうよ、沖縄といったら、やっぱり沖縄料理!おいしい豚肉が私を待っ てる。
少女1:そういうの共食いって言うんだよ。
少女2:ひどおい!こんなナイスバディをつかまえて!
少女3:クラスの男の子たち、私たちのこと、何て言ってるか知ってる?
(口々に、ブー、フー、ウー。合わせて、3匹の「子豚」)
少女1:ひどいよね、これでもわたし、ずいぶんダイエットしたんだよ。
少女2:それにしてもさあ、中辺路中学校っていいよね。修学旅行、沖縄に行ってるんだって!こんなすてきな所に来られるなんて、ずるいと思わない?
少女1:そうよ、そうよ。わたしたち、自分のお金で来てるのにさ。
少女3:さあ、さあ、とにかく行きましょうよ。
少女12:出発!
少女1:(るるぶを見ながら)ここはね、首里城っていうの。これは守礼の門、きれいでしょう?昔の県庁のあったところだって。戦争中はここに日本軍のし・れ・い・ぶ ?があったんだって。
少女3:ふーん、で、しれいぶって何?
少女2:あったま、わるー。しれいぶって・・・司令部じゃん。
少女3:失礼ね!だから、何よ。
少女2:知らないわよ、そんなの。
少女1:いいから、いいから、次行ってみよう!
少女3:やったあ、ここ楽しみだったんだ。ちゅらうみ水族館!
少女1:ここには世界で一番大きなじんべいざめがいるのよ!
少女2:それって、食べられる?
少女3:ほら、また食べることばかり!
少女1:ここはね、東南植物園。いろんな亜熱帯の植物があるんだって。
少女2:マンゴジュースも飲めるし、パイナップルもあるよ。わたし、夢だったんだ、パイナップルお腹いーっぱい食べるの。
少女3:それに、ほら、「身に付けるだけで、あなたに幸せが訪れる星の砂」だって。わたし、これ買おう。
少女2:何、ここ?気持ち悪ーい。ここが観光名所なの?
少女3:ただの洞穴じゃない。
少女1:えっとね、ここは「陸軍野戦病院第1外科壕のあと」って書いてある。「戦争中、空襲や敵の砲撃から逃れるために、自然の鍾乳洞を利用して作られた病院」、だって。
少女3:気味悪いよ、お化け出そう。
少女2:そう、そう。(壕の中に石を投げ込む)
少女1:深いのかなあ、音がしないよ。(もう一度石を投げる)
(突然、激しい雷鳴。暗転。少女達の悲鳴。思わず座り込む。ステージ中央でスポットライトに少年。軍服を着て、頭に包帯。血で染まっている)
少女3:(少女達にスポット。少年を指さして)ちょっと!何、あれ?
少年:(中央に進み出る。少女達に)あなたが今石を投げ込んだこの壕は、あなたと同じ年の少女達が、アメリカ軍の銃弾を浴びて、死んでいった、壕の跡なのです。
少女1:(キョトンとして)何言ってんの?あんた誰?
少年:自分は鉄血勤王隊、通信兵、知念光喜といいます。
少女2:何それ?てっ、てっ・てつきん・ろう・たい?
少年:鉄血勤王隊です。沖縄県の中学校男子生徒は、日本軍司令部の命令を受け、陸軍に配属され、兵士として戦場に立たされたのです。
少女3:何バカなこと言ってるの?沖縄の中学生って、みんな自衛隊に入るの?
少年:自分は、昭和20年、6月19日。この壕の中で、アメリカ軍の銃弾を受けて死にました。今、ここにいるのは自分の魂です。
少女1:魂?じゃあ、あんたは幽霊なの?
少年:そうです。(少女23、悲鳴)
少女2:ごめんなさい、石を投げて悪かったわ。お願い、連れていかないで。
少年:いいえ、そうではありません。自分は危害を加えようとしているのではありません。ただ、あなた方と同じ年齢の少女が、無惨に死んでいったこの壕に、石を投げ込んだ行動が悲しくて、どうしても戦争の事実を知ってもらいたいのです。
少女3:(半分泣き声で)戦争のことだったら、学校で習ったよ。沖縄のことも知ってるよ。
少女1:私たち、沖縄に観光旅行に来たのよ。なんで、戦争の話なんか聞かなきゃならないの!しかも幽霊に。
少年:自分の話を聞いてください。そして、聞き終わった後に、まだそう思えるかどうか、あなたの心に聞いてみてください。お願いします。
少女1:いいよ、分かったよ。
少年:ありがとうございます。(下手に移動。沖縄戦の映像)沖縄が太平洋戦争の舞台になったことは知っていますね。日本本土への攻撃を前に、アメリカ軍の大部隊が上陸して日本軍との間で激しい戦争が行われた場所なのです。
少女2:ヒロシマとか、長崎の原爆のことは知ってるけど、沖縄のことは知らない。
少年:昭和20年の4月1日、アメリカ軍は沖縄の中部、西海岸に上陸しましたが、日本軍は何の抵抗もしませんでした。日本本土への上陸を少しでも食い止めるため、アメリカ軍を島の中に誘い込み、ゲリラ戦に持ち込むのが目的でした。
少女3:それじゃあ、沖縄の戦争は長く続いたんだ。
少年:沖縄戦の戦死者は20万人といわれています。そのうち、10万人以上が沖縄県人でした。
少女1:ヒロシマ原爆の死者の数と同じだ。
少女2:戦争が始まるまでに、疎開したりしなかったの?
少年:沖縄の周りの海や空はアメリカ軍に支配されていました。見つかれば、船は沈められ、飛行機は撃ち落とされました。
少女3:それ、知ってる。「対馬丸」って映画で観たことがある。
少年:沖縄の悲劇は、狭い島の中で、40万人の人々が逃げ場を失い、日本軍によっても多くの住民が殺されたことです。
少女1:えっ、日本軍が日本人を殺したの?
少年:そうです。軍と一体になって戦争に協力してきたのに、いざアメリカ軍が上陸してくると、日本軍は避難民を保護するどころか、「沖縄人はスパイになるおそれがある」と警戒して、「集団自決」を強制したり、殺害したりしました。
少女2:へえー、国民の命を守るはずの軍隊に殺されるなんて、戦争ってむごいね。
少女3:戦争だから、仕方なかったんだね。
少年:いいえ、それは違います。死んでいった人は、殺された人は、戦争だから仕方なかった、で納得できるでしょうか。ちょうどあなた方が、未来に希望を持っているように、自分たちにも、未来への希望がありました。教師になりたかった者、新聞記者になりたかった者、みんな、それぞれに夢をもっていました。
少女1:「ひめゆり」の人たちのことを聞かせてくれる?
少年:ひめゆりの少女達は、看護婦の手伝いとして戦場におもむきました。そこはまさに生きた地獄でした。必要な医療品は底をつき、蛆がわき、大便・小便の臭い、苦痛にうめく声、気が狂った患者のわめき声・・・。
少女2:イヤだって言えなかったの?逃げ出せなかったの?
少女3:そんなこと出来るはずないじゃない。殺されてしまうよ。
少年:この後のことは、あなた方の口を借りてお伝えしましょう。(BGM)
少女1:(人が変わったように、立ち上がって、前に進む)私は、山城の本部壕へ伝令に出ました。銃弾の飛んでくる中を走り、息を切らして駆け込んだとき、そこは爆弾の落ちた直後でした。重傷を負った中に晶子さんがいました。晶子さんは息も途切れ途切れ、腹部をやられたのでしょう。包帯でふくれています。苦しそうななかにも、はっきりとした口調で、青酸カリが欲しいと言いました。私は励ますことしかできませんでした。しばらく苦しそうな息が続き、急に口を動かすと「澄ちゃん、澄ちゃん、待って。どうしてそんなに速く走るの・・・姉さんも行くから待って、待って」と妹の名を呼ぶのです。そして最後に「みんな、どうもありがとうね。みなさん、さようなら。お父さん、お母さん、妹たちもさようなら。姉さんは先に行くからね」と、声は次第にかすかになり、やがて息は絶えてしまいました。私はうなだれたまま、息を殺して泣きました。
少女2:ドカン!ものすごい爆発音とともに、真っ白い煙がもうもうと立ちこめ、何も見えません。「ガスだ!ガスだ!」そのうち、あちこちから「お母さーん、お父さーん」「先生!苦しいよう!殺して!殺して!」本当に生き地獄です。私も叫び続けました。「水!水!」となりで又吉キヨさんがうめいています。「苦しいよう」「しっかりして」「お先にね。ああ苦しい」その声を聞きながら私は意識を失いました。飢えと乾きで意識を取り戻したのはやっと3日後でした。「生きていたのか、よかった」みんなが私を穴のあくほど見ていました。私が死んだものと思い、亡霊だと思って、ぞっとしていたのでした。「みんな死んだのよ」そう言われても、悲しくもなく、涙もでません。神経が麻痺し、もぬけのからのような人間になってしまっていたのです。
少女3:解散命令の出た後、私は先生3人、生徒12人とで、壕を出ました。すぐ米軍の攻撃に遭い、先生2人、生徒1人が即死、2人が負傷しました。空から海から地上から、袋のネズミと一緒で、死人やけが人の上をはいずり回りながら、ようやくキヤン岬にたどり着きました。しかし、ここからも火炎放射の炎にいぶり出され、ついに絶壁に追いつめられました。下を見ると、波が白いしぶきをあげ、海上には無数の艦船が浮かんでいました。前にも後ろにも行くことが出来ません。みんな一緒に自決することを決めました。敵に捕まると、どんなことをされるかわからない、としか知らされていなかった私たちには、死ぬことしか考えられなかったのです。嘘のように静まりかえる絶壁の上に、突然銃声が響き、4人が即死しました。私はとっさにジャングルに飛び込みましたが、すぐ米兵に銃を突きつけられました。岩陰で7人の学友が自決しました。鮮血が岩を染め、そのあまりのいたましい姿に、私は泣き崩れました。
少年:ここに紹介したのは、沖縄での戦争のほんのわずかなエピソードに過ぎません。今、沖縄は美しい観光の島として大勢の観光客を受け入れています。南部にある戦争の史跡は観光コースとしてにぎわっています。しかし、もしみなさん方がこの沖縄を訪れることがあるなら、この島でみなさんと同じ年頃の若者達が、無惨に死んでいかなければならなかった事実を、決して忘れてほしくないのです。
(間)さあ、それでは、今からもう一つの物語をお見せしましょう。地獄のような戦場で、人間らしく生きた、一人のひめゆりの少女の物語です。では、開演いたします。(暗転)
(キャストandスタッフの紹介。BGM流れる。BGM変わる)

ナレーション:昭和16年12月8日、ハワイ真珠湾攻撃に始まった太平洋戦争で、日本軍はつかの間の優勢ののち、翌17年に早くも劣勢に立たされた。その後、太平洋上の諸島を制圧したアメリカ軍はその圧倒的戦力で日本本土攻撃を企て、その手始めに本土南端の島、沖縄を空と海から完全に包囲した。全く孤立状態となった沖縄本島にむけてアメリカ軍は昭和20年3月24日未明、激しい艦砲射撃を開始した。その翌々日、アメリカ軍は沖縄島の西方にある慶良間列島に上陸。ついで4月1日には、沖縄の嘉手納海岸に上陸した。日本軍は次第に追いつめられ、多くの沖縄県民を道連れに、南へ南へと逃げ延びていた。

<第2幕 第1場>
(幕が開く。照明すべて明。下手に壕の入り口。壕の前には土嚢が積まれてある。壕の中はゴツゴツした岩肌の感じを出す。先生とキヨ、サト、上原が作業台を前に包帯を巻き直している)

先生:石嶺さん、軍医殿のところにこの包帯を持っていってちょうだい。
キヨ:はい、先生。(包帯の山を抱えて上手に消える)
新垣:(上手より水桶をもって)先生、傷口を洗う水がもう足りません。
先生:悪いけれど外まで行って汲んできて。爆弾に気をつけるのよ。
新垣:はい、先生。
サト:先生、私が行きます。
新垣:危ないわよ。いつ爆弾がとんでくるかわからないわよ。
サト:平気です。こうみえても私、けっこう運動神経がいいんです。敵の爆弾なんかひょいひょいってよけちゃいますよ。
先生:そう、それじゃ石嶺さん、お願いね。十分に気をつけるのよ。
サト:はい。(水桶を新垣から受け取って下手に消える)
負傷兵1:(上手から声のみ)学生さん、学生さん、苦しいよう、水をくれ。
新垣:我慢してください、もうお水がないんです。もうすぐ外から持ってきますからね。
負傷兵2:学生さん、どうにかしてくれ。もう耐えられない。
上原:今いきます。頑張ってください。(上原、上手に消え、代わりにキヨ作業に戻る)
負傷兵1:薬をくれ!死にたくないよ。
負傷兵2:苦しいよう、どうにかしてくれ。
キヨ:頑張ってくださいね。すぐに軍医殿が来てくれますからね。
負傷兵1:いつまで待たせるんだ。ぶっ殺すぞ、この野郎。
新垣:(自分に向かって)ひどい、わたし達だって必死でやってるのに。もう3日もほとんど寝てないのに。
石嶺:新垣さん。そんなことを言わないの。わたし達は傷ついた兵隊さんたちを助けるためにここに来たんだから。
新垣:そうね、命の限り尽くしましょう。
先生:石嶺さん、妹さんに水くみを頼んだの。様子を見てきてくれない。
キヨ:え、サトが水くみに?
新垣:そうなの。私の代わりに自分が行くからって。
キヨ:じゃあ、見に行ってきます。
新垣:ううん。私が行くわ。キヨちゃん、ここお願い。(下手に去る)
知念:(交代するように下手より表れ敬礼、壕内に向かって)伝令!伝令!(上原も現れ、全員が姿勢を正す)大本営発表。本日の戦果。我が神風特別攻撃隊第三みたて隊はカテナ沖にて敵巡洋艦一隻を轟沈(ごうちん)せり。(知念、敬礼して去る)
キヨ・上原:ばんざーい。ばんざーい。
キヨ:(上原と手を取り合って)よかったわね。さすがに神風特攻隊ね。
上原:そうよ、アメリカ軍なんて神風が吹いたらひとたまりもないんだから。
キヨ:そうよ、そうよ。きっと恐ろしくなってしっぽ巻いて逃げてくわ。
(突然の破裂音、座り込んで悲鳴。ー間ー 下手より新垣と知念、サトを抱いて)
新垣:サトちゃんが、サトちゃんが!(サトを抱えてくる。サトは重体。知念も重傷)
キヨ:サト!(抱き起こす。腹部に弾傷。知念も倒れ伏す)
サト:ねえちゃん、苦しい。
先生:石嶺さん、しっかりして。
新垣:サトちゃん、代わりにいってもらったばかりにこんな目に・・・
キヨ:サト、しっかりするのよ、死んじゃだめ。
サト:ねえちゃん。苦しいよう、死にたくないよう。
先生:しっかりするのよ。大丈夫、きっと助かるから。
上原:サトちゃん、サトちゃん。
サト:ねえちゃん、もう一度母さんに会って死にたかった。母さんに言ってね。サトはお国のために立派に役にたちましたって。かあさん、かあさん・・・(こときれる)
キヨ:サトぉぉぉぉー。(号泣)
(周囲も口々に「サトちゃん」と泣き崩れる 暗転)

<第2場>
(舞台中央に傷ついた知念。看病するキヨ)

知念:(苦しげに)ありがとうございます。
キヨ:いいえ、申し訳ないと思っています。妹を助けに行ったばかりに、兵隊さんまでこんな大けがを・・・。
知念:自分は軍人ではありません。沖縄県立第一中学校の知念光喜と言います。鉄血勤皇隊通信兵であります。
キヨ:まあ、県立一中の学生さん。
知念:そうです。あなたは?
キヨ:私は沖縄師範学校女子部の石嶺キヨと言います。
知念:では、ひめゆりの?
キヨ:(うなずく)
知念:そうですか。沖縄師範ですか。では将来は学校の先生を?
キヨ:ええ。国民学校の先生になりたいと。
知念:自分は・・・新聞記者を夢見ていました。(あきらめた感じに)この戦況ではそうとも言っていられませんが。
キヨ:(遠くを見るように)この戦争が終わったら、お互いに、夢を叶えられたら、どんなにいいことでしょうか。
知念:そうですね。そうなれば・・・。
キヨ:私の父も教師でした。その父を慕って、私も妹も師範学校への道を選んだのです。なのに、妹はもう・・・。
(先生、下手より舞台中央に)
先生:石嶺さん、撤退命令が出ました。今すぐこの病院壕を出ます。出発の用意をして下さい。
(キヨ、先生に駆け寄る 照明前のみ)
キヨ:先生(思い詰めたように)、私はここに残ります。
先生:何を言うの。ここに残ればアメリカ軍の攻撃でみんな死んでしまうわ。あなたは看護学生なのよ。命令があれば軍と一緒に南に下らなければならないの。
キヨ:でも、この壕にはたくさんの負傷兵がいます。妹を助けようとして傷ついた知念さんも。あの兵隊さんたちはどうなるのですか。
先生:悲しいけれど、それはわたし達の考えることではないの。
キヨ:兵隊さんの言っていることを聞いたことがあります。:生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」。日本軍は捕虜になるより死ねと教えられているそうです。動けない人たちには毒入りのミルクが配られると聞きました。看護学生のわたし達が、けが人を捨てて逃げていってもいいのでしょうか。
先生:石嶺さん。あなたの言うことは私にもよく分かるわ。けれど、私はあなたたちの先生なの。ここに連れてきた限り、命に賭けてもあなたたちを守る責任があるの。
キヨ:先生。私は妹を置いてここを出ては行けません。
先生:妹さんが亡くなったことは本当にお気の毒です。けれどあなたの命はあなた自身のものなのよ。あなたはここで死ぬのを待つのですか?あなたは、ここに残れば死ぬよりほかないのです。それをあなたのご家族が喜ぶと思いますか?。
キヨ:(強く頭を振りながら)わたくしはここに残ります。
(先生、キヨの肩をつかみ、強く揺すぶりながら)
先生:石嶺さん、どうしてあなたはそんなに死にたいのです!あなたにはお父さんやお母さんがいるでしょう。今は戦争で別れ別れになっていても、生きてさえいれば、また会える時があるはずでしょう!
(キヨ、体の力が抜けたようにうずくまり嗚咽する。スポットキヨへ。BGM)
キヨ:わたしの父も母も、もう生きていません。わたしの実家は慶良間です。先生、慶良間をご存じでしょう。あの山に登れば、西の海に見える離れ島です。あの3月の戦いで、慶良間には生きている者など一人も残っていないのです。父も母も、弟も、みんな死んでしまったのです。妹にはずっとそれを隠してきました。妹が死んでしまって、もうわたし一人ここで生き残ったって。(再度キヨの目から涙。間)
先生:石嶺さん、私にも妹がいるの。でも私は、私がここで死んでしまっても、妹にはどんなことがあっても生きていてほしいと思います。(キヨの泣き声が止むのを待って しみじみと)あなたが死んだら、妹さんやご家族のことを誰が記憶していてあげられるのですか。あなたはご家族みんなの命を未来に繋いでいく責任があるのですよ。
上原・新垣:(上手から声のみ)先生、出発します。
(その声を聞いて先生、もう一度)
先生:石嶺さん、一緒に行きましょう。
キヨ:(しばらくの間)わたしは、やはり妹を置いてはいけません。ここに、残ります。
上原・新垣:(再度)先生!出発します。
(先生、何も言えず、立つ。暗転)

<第3場>
(遠くで砲撃の音。負傷した将校と兵隊、上手より登場。舞台中央にキヨと横たわる知念)

兵隊:大尉殿、しっかりしてください。(将校の膝には真っ赤な血のり。支えられている)
将校:畜生、こんな怪我ぐらいで、負けてたまるか。
兵隊:ここに味方の壕があります。中に入れば、医薬品が残っているかもしれません。(将校を支えながら、壕に入っていく)
兵隊:誰かいるか!
キヨ:はい。
兵隊:看護学生か。これは都合がいい。自分たちは、歩兵第63旅団の者だ。アメリカ軍の攻撃に遭って、味方はほとんど全滅した。ここにおられる大尉も負傷されておられる。至急治療を頼みたい。
キヨ:はい、治療といっても何も出来ませんが、とにかくそこにお座りください。
将校:おい、学生!何をしている、早くしろ!そんな、今にもくたばってしまうような役立たずなんか放っておけ。敵はもうそこまで来ているのだ。俺の治療が先だ!
キヨ:はい。(将校の治療を始める。兵隊、外をうかがう)
将校:ところで、学生。この壕にはもうどれくらいいる?
キヨ:はい、部隊が南に下ってから、もう4日になります。
将校:その間に、アメリカ兵の姿を見たか?
キヨ:いえ、空襲や艦砲射撃は毎日ですが、まだアメリカ兵の姿は一度も見てません。
将校:ふん、しかし、それも時間の問題だ。今にも戦車を先頭におったてて、津波のように押し寄せてくる。
兵隊:(外を見ながら)大尉殿、誰か来ます。(銃をかまえる)
将校:なに!(将校、刀に手をかける)
(上手より赤ん坊を背負った母親、小走りに壕の入り口に駆け込む)
兵隊:止まれ、撃つぞ!
母親:助けて、助けてください!
将校:何だ、民間人か!ここはお前のような人間の来る所ではない。帰れ!
母親:お願いです。赤ん坊がいるんです。少しでもいいですから、休ませてください。
将校:黙れ!お前が敵のスパイでない証拠がどこにある。撃たれたくなければ、とっとと出て行け!
キヨ:待ってください、大尉殿。今、その人を追い出したら、死ね、というようなものです。お願いです。どうか、入れてあげてください。
将校:だめだ、ここは民間人の来るところではない。足手まといになるだけだ。
キヨ:軍隊が国民を守らないで、それで務めが果たせるのですか!
将校:貴様、口答えをするのか!お前達の沖縄を守ってやっているのは誰だ!民間人が軍のために犠牲になるのは当たり前だ。ここは民間人のための壕ではない。
キヨ:わたしたちもお国のために戦っています。
将校:なに?
キヨ:わたしたち沖縄の人間も、ここにいる兵隊さんたちも、みんなお国のために戦って傷ついてきたのです。
将校:こんな死に損ないの連中なんて生きている意味もない。俺がこいつらを帝国軍人らしく死なせてやる。今まで生きていたことが恥さらしだ。(キヨに向かい)口答えするならお前も出て行け!
キヨ:負傷者を見捨てて出て行けるものではありません。殺すのなら、私から 殺してください。
将校:そんなに殺してほしいのなら殺してやる。(刀に手)
兵隊:(慌てて)大尉殿、敵です!
将校:何!(外をうかがう)
アメリカ兵の声:コノナカニハ、ダレモイナイノデスカ。デテコナイトキケンデス。ム エキナテイコウヲヤメテ、デテキナサイ。
将校:畜生!(母親に)おい、そこにいてはまずい。さっさと中に入れ。
(キヨと母親抱き合う)
将校:静かにするんだ、いいな!
(再度アメリカ兵の声。突然、赤ん坊の泣き声。母親、慌てて背中から下ろす)
将校:おい、馬鹿、泣かすんじゃない、静かにさせろ!
(母親、おろおろとあやすが泣きやまない)
将校:ええい、俺によこせ!
母親:何をするんです!止めてください!
(将校、母親ともみ合い、赤ん坊をとりあげる。地面に置き、片ひざついて、刀を振り上げる。知念光喜、将校を撃つ。母親、赤ん坊を抱きしめる)
兵隊:何をする。(銃を向けるが、再度アメリカ兵の声)
キヨ:出ましょう!ここを出ましょう。そして投降しましょう。
兵隊:何を言うんだ!気でも狂ったのか!
キヨ:投降すれば、ここにいる負傷兵も助かるかもしれません。どうせ殺される身なら、投降したところで同じ事です。投降すれば助かる命もあるかもしれないのです。
兵隊:馬鹿なことを!そんなこと嘘に決まっている。だまされるんじゃない。それに、帝国軍人には降伏などという言葉はない!
キヨ:わたしは出ます。
兵隊:そんなことはさせない。出れば撃つぞ!
キヨ:お願いです、銃を下ろして下さい。兵隊さんにも、内地にお帰りを待っているご家族がいるのではないのですか?ここにいる大勢の負傷兵にだって、家族がいるのです。生きて帰ることを心から待ち望んでいる家族がいるのです。生きる望みが少しでもあるのなら、どうか壕から出して下さい。
(兵隊、銃を下ろし、うなだれる。キヨ、止血のための白布で旗を作る)
キヨ:さあ、出ましょう。(母親と連れて。キヨ、入り口に近づく)
(いつの間にか気がついた将校、ピストルを取り出し、撃つ。キヨ倒れる。母親の悲鳴。アメリカ軍の銃撃始まり、全員倒れる。暗転)

<第4場>
(先生、下手より現れる。スポットライト。BGM)

先生:沖縄は日本の国土の中で、ただ一つだけ戦場となったところです。そして、そこでは話すことすら出来ない数々の悲劇が生まれました。戦争というものが殺し合いである以上、そこに悲劇があるのは当たり前ながら、沖縄の場合は、軍人だけでなく、多くの島の人々が巻き添えになったのです。沖縄では、日本軍は島の人々を守る軍隊ではなく、その銃口は逆に沖縄の人々に向けられたのです。
(全員立つ。照明前部のみ明。知念光喜、前に出る)
知念光喜:日本の兵隊は、10人のうち9人までがひどいことをした。壕から水を汲みに出たとき、突然の空襲で、近くの壕に逃げ込んだら、誰が入れと言った、このオキナワ!って、いきなり銃をつきつけたのは日本の兵隊だった。(兵隊、前に出る)
兵隊:オキナワの人々の壕にあとから入ってきて、刀を抜いてみんなを追い出したのも、沖縄人はみんなスパイだと言って拳銃を振り回したのも、逃げようとして、壕を出るところを切り捨てたのも、日本の兵隊だった。(母親、出る)
母親:赤ん坊が泣くと敵に知れる、といって、母親に子どもを絞め殺させたのも、みんな日本の兵隊だったわ。(将校、出る)
将校:配られた青酸カリを子どもに飲ませ、その子どもがあまりにもがき苦しむのに耐えきれず、子どもの足を持って岩へたたきつけたのは、日頃、子煩悩で有名な、父親だった。(キヨ、中央へ出る)
キヨ:石嶺キヨは死にました。そして何千人、何万人ものキヨがこの戦争で死んでいきました。私達は今、平和な日本に住んでいます。でも、この平和は、キヨのような多くの人たちの犠牲の上に築かれたことを忘れてはいけないのです。私達は今こそ声を大きくして叫ばなければなりません。この日本が決して再び戦争をする国にならないように。この平和な社会を守っていくのは、いま生きているわたし達自身なのです。
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│  「いのちの大地」                                                           │
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ナレーション:(BGM「明日」平原綾香)お待たせいたしました。ただ今より3年生の劇「いのちの大地」を上演いたします。1945年、昭和20年。現在の中国東北地方にあった満州という国に多くの日本人が開拓団として移住していました。日本の敗戦が決定的となった8月。突然ソ連の軍隊が国境を越えて攻め込んで来ました。開拓団の人々を守るべき日本の軍隊はいち早く南へ逃げ、約27万人といわれる開拓団は戦場に取り残されたのでした。人々はその後、言葉にはできないほどの悲劇を味わわなければなりませんでした。死亡、行方不明者の数は約8万人と言われています。この物語は、その中の一つの家族が受けた苦しみ、そして喜びを描きます。その姿を通して、私たちは戦争の悲惨さ、平和の尊さを、ご覧頂く皆さまと共に考えたいと思います。約1時間の長い舞台ではありますが、どうぞ最後までごゆっくりご覧下さい。それでは開演いたしま
す。(BGMフェイドアウト)

・キャスト
先生・・・
生徒達・・・
匪賊1(ソ連兵1との2役)・・・
匪賊2(ソ連兵2との2役)・・・
母親・・・
陽子・・・
残留孤児・・・
安・・・
榎本・・・
父親(満との二役)・・・
吉岡・・・
藤原・・・

・スタッフ
PA・BGM ・・・
プロジェクター・・・
プロンプター・・・
中幕・袖幕・・・
舞台照明・・・1幕:
2幕:
スポットライト・・・1幕:
2幕:
背景設営・・・
小道具・・・


<第一幕>
                    ・パワーポイントによるプレゼンテーション
                                       
1,中国残留孤児(タイトル)

2,帰国孤児の写真

3,昭和初期の中国の地図

4,明治、大正、昭和時代の中国の年表

5,溥儀の写真

6,開拓団の写真

7,昭和初期の中国の地図

8,中華人民共和国(毛沢東や国旗)

9,イラクの子どもたち

 幕が開く。正面のスクリーンを挟んで、上手に先生。教壇の前に立っている。下手に生徒が机を並べている。教室の授業風景。スクリーンに「中国残留孤児」と出ている。

先生:(教科書を手に)じゃあ、次。「中国残留孤児」について勉強しましょう。
真澄:先生、中国残留孤児って大人なんでしょう?どうして「孤児」って言うんですか?
先生:いい質問ね。次の画面を見ましょうか。(「残留孤児達の写真」)この人達が残留孤児です。
穂波:もうお爺さん、お婆さんですよね。
先生:そうですね。こんな大人なのになぜ「孤児」と呼ばれると思う?
菜穗:中国に残されたときに子どもだったからですか?
先生:そう。じゃあ、なぜ中国に残されたの?(生徒達首をかしげる)分からないか。(間)地図を見ましょう。これは太平洋戦争中の中国の地図です。日本はここ。そして、中国の、東北地方に、満州って国があるでしょう。
衣月:そんな国の名前、聞いたことがないです。
先生:そうですね。中国の歴史の中に「満州」という国はありません。年表で確認しましょう。「満州」があった時代の年表です。
希望:明、清、中華民国、中華人民共和国・・・。ホント、満州はないです。
先生:年表にものっていない国「満州」っていったいなんだったんでしょうね。真澄さん、教科書148ページを読んでくれる。(真澄、立つ)
真澄:はい。中国大陸を「清」という国が支配していた頃のことです。清は日清戦争やアヘン戦争などに敗れて、国の力が弱っていました。そこにつけこんだイギリス、ドイツ、フランスなど欧米の国々は中国の国内に軍隊を派遣して、植民地を作りました。香港は中国の領土でしたが、アヘン戦争の後、一〇〇年間無料でイギリスに貸し出されました。
菜穗:あっ、香港って知ってる。うちのお母さん、ヴィトンのバッグ買ってきた。
穂波:うそつけ。
菜穗:(ムキになって立つ)ホントだって。
穂波:どうせ偽物じゃないの?
菜穗:(元気なく座る)すぐにチャック、はずれたけど・・・。
穂波:ほーら。
先生:はいはい、ヴィトンの話はまた今度ね。次を衣月さん。(衣月立つ)
衣月:日本も「日清戦争」「日露戦争」で中国大陸に大きな力を持つようになっていました。大正元年に「清」が滅んで「中華民国」ができると、日本は、清の最後の皇帝であった「愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)」を初代の皇帝として、「満州国」という国を中国の東北地方に建国しました。
先生:はい、ありがとう。これが「溥儀(ふぎ)」の写真ね。
希望:先生、そしたら、「満州国」は日本が勝手に中国の国内に作った国なんですか?中国の人たちは文句を言わなかったんですか?
先生:もちろん、中国は国際連盟に訴えました。国際連盟は「満州国」が偽りの国だと認め て、日本に出て行くように求めましたが、日本はそれを不服として、国際連盟を脱退してしまいます。(間)次へいきましょう。穂波さん。
穂波:(立って)中国に「満州」という土地を手に入れた日本は、そこに大勢の日本人を移住させました。27万人といわれる日本人が、昭和20年までに満州に渡りました。 その多くは日本では食べていくことの出来ない貧しい農民たちでした。「分村」といっ て、村の半分をそのまま満州に移した村もありました。満州へ行けば豊かな暮らしがで きる、と思っていたのです。
先生:当時の満州開拓団の写真がありますから、それを見てみましょう。解説文を、奈緒さん、読んでください。(奈緒立つ)
奈緒:厳しい冬の気候とやせた土地。米作りが中心だった日本と違い、コウリャンや麦が中心の作物を育てるには大変な苦労がありました。そのうえ、日本の開拓団が手に入れた土地は、その土地に昔から住んでいた中国人や朝鮮人がやっとの思いで開拓した土地 を、日本の軍隊が無理矢理安い値段で取り上げたものだったのです。
衣月:ひどーい。じゃあ、開拓団の人って、中国人からうらまれたですよね。
先生:きっとそうでしょうね。希望さん、教科書次読んで。(希望立つ)
希望:日本はソ連との間に「日ソ中立条約」を結んでいました。これは日本とソ連がお互いに攻搫をしないという約束でした。ところが日本の敗戦を急いだアメリカやイギリス は「ヤルタ会談』で、ソ連が日本を攻撃するよう約束を取り付けました。
真澄:それって、約束を破ったってことですか?
穂波:いるんだよねえ、こんなやつ。(奈緒に向いて)ところでさ、ソ連ってどこの国?
奈緒:わかんないよ、そんなの。
先生:もう一度中国の地図を見ましょう。ソ連ってここ。今のロシアのことね。満州のすぐ北に国境があるのがわかるね。ソ連はこの国境を越えて攻め込んできたわけ。その時 のことを、開拓団の人が書いた記録があるでしょう?それを真澄さん、読んで。
真澄:昭和20年8月9目、突然、ソ連軍が中国との国境を越えて攻め込んできました。 このころ、中国大陸には「関東軍」といって、日本で一番強いといわれる軍隊がいるは ずでした。ところが、東南アジアや太平洋での戦争が激しくなってからは、強いはずの 関東軍はとっくの昔に南の戦場へ送られ、満州に残っていたのは中国で集められた寄せ集めの軍隊でした。その軍隊も、ソ連軍が攻めてくると、ずっと南の「通化」というところまで退却してしまったのです。
先生:はい、次、衣月さん。
衣月:(立って)日本人の開拓団は27万人といわれています。この人たちは、日本の軍隊から、日本の国から見捨てられて、置き去りにされてしまいました。27万人の開拓団員たちは、必死になって日本へ帰ろうと逃げました。けれど男の人たちを兵隊にとられ、守ってくれる人のいないなかで、命を守ることはとても難しいことでした。ソ連兵や中国人、朝鮮人に襲われ、持っているものはすべて奪われ、女性は強姦され、老人や子どもは次々に死んでいきました。そんななかで、せめて子どもの命だけは助けたいと願った母親が、自分の子どもを中国人に預けようと思ったのも無理のない話でした。
奈緒:(穂波に向いて)ねえ、ねえ、強姦ってなに?
穂波:ばか!
衣月:先生、なんで中国の人たちは日本人の子どもを引き取って育てたんですか?日本人は中国で悪いことをしたんでしょう?なんでそんな憎い日本人の子どもを育てるわけ?
先生:もちろん、日本人のことを恨んで、許せない人も大勢いるけど、子どもには罪はないんだって思っていた人も大勢いたということじゃないかなあ。
奈緒:私だったら絶対無理。
穂波:奈緒は自分の子どもだって育てらんないよ。
奈緒:それって、ひどーい。
先生:こうして多くの子どもたちが命を救われたけど、途中でさらわれたり、行方不明になったり、売られた子どもたちもいたようです。
真澄:わかった。それで、中国に残された子どもたちを「残留孤児」っていうんだ。
穂波:当ったりー。
先生:こうして、日本へ帰れずに中国大陸に取り残された日本人の子どもたちは数千人にものぼるといわれています。この子どもたちが「残留孤児」といわれる人たちです。
衣月:でも、先生。なんで今まで日本に帰れなかったんですか?戦争が終わったら、日本へ連れて帰れたんじゃないんですか。
先生:衣月、冴えてるね。いい質問よ。(間)昭和20年に戦争が終わったあと、中国では中華人民共和国という国ができて、日本とは戦後30年近く国交がなかったの。日本人の誰も中国へ行けなかったし、中国からも日本へ来られなかった。
衣月:かわいそー。
希望:この人たちは今みんな日本に帰れてるんですか?
先生:日本人だと証明できた人たちは帰れてるけど、日本での生活はとても苦しいのよ。
真澄:いつも一番かわいそうなのは子どもだよ。
奈緒:そう、そう。イラクもそう。
穂波:イラクでね、空襲で頭が割れた子どものね、脳みそが出てるのを、お父さんが手で受けて、病院で手当をうけてるの、テレビで観たよ。
衣月:大人ってさ、子どもが幸せに生きられる社会を作るのが仕事じゃん。子どもを犠牲にして「正義の戦争」なんてバッカみたい。
先生:そうね。イラクでも多くの子どもたちが戦争の犠牲になってるね。どんなに理由をつけても、どんな正義があっても、死んでいった子どもたちにはなんの罪もないのね。あなたたちもお母さんになって、自分の子どもを戦争で死なせたくないでしょう?
奈緒:絶対いや、考えらんない。
穂波:奈緒、その前に相手いるやろ。
先生:じゃ、次いきましよう。

照明消える。キャストの紹介(BGM「ハーバーのアダージョ」)

<第2幕>

<場面1>・・・厚生労働省の一室。中央に吉岡座っている。右手に榎本立っている(スポッ卜ライトのみそれぞれにあたる)

係官:私は厚生労働省社会援護局の榎本と申します。あなたのお捜しになっておられる方を一 刻も早く見付けられるよう'、もう一度当時の状況を詳しくお話し願えますか。(BGM 「海ゆかば」)
吉岡(90才ぐらい):昭和20年の8月9日のことです。コーリャンの畑で仕事をしておりましたら目の前を列車の走る音がしたのです。なにげなく目をあげると、機関車の 先に日の丸の旗を交差して走っている列車が見えました。それまでそんな列車なんて見 たこともなかったので、おかしなこともあるものだと考えて見ていると、ところどころ扉が開いていて、そこには大勢の日本の婦人や子供、それに兵隊たちが乗っているのが 目にとまりました。しかもそうとうな人数で、どうやらこれは軍の関係らしいと思った ものの、それ以上のことはわかるわけもなくて帰ってきたのです。ところが、家に帰ってみると、妻があわてて駆け寄って来て、どうやらソ連が満州に攻め込んで来たらしい というのです。満人の警察官、いえ、昔はそう呼んでいたものですから、つまり中国人 の警察官が知らせてまわっていると・・・。こいつは大変なことになったと思いました。 けれど、まだその時には、こちらには無敵の関東軍がついていると思っておりましたか ら、心のどこかでたかをくった所もあったのです。まさか、その関東軍がとうの昔に南 方の戦線に送られて、残っているのは現地で召集された素人の集まりばかりだなんて、 思ってもみませんでしたから。そのうえその素人の軍隊でさえ、私達民間人を捨てて真っ先に逃げ出していたのです。私の見た列車というのは、軍人や役人とその家族の避難列車だったんですね。そうやって、私たち27万の開拓団員が満州の荒野においてきぼりに されてしまったのです。(幕間BGM「開戦放送」)

<場面2>・・・開拓村。開拓団員の粗末な家。陽子が机に向かって手紙を書いている。
母親は赤ん坊を背負って繕い物をしている。

陽子:お母さん、おばあちゃんに手紙が書けたよ。
母親:(視線を下げたままで)そう。じゃあ、読んで聞かせて。
陽子:はい。(立つ)
「おばあちゃん、お元気ですか。陽子はとても元気で毎日を過ごしています。私たちの村は「すいりょうけん。そうせんちん」という所です。村には国民学校もあります。陽子は6年生になりました。ここでの生活はとっても暮らしやすいです。食べるものは満州開拓公社の人たちが全部送ってくれます。お砂糖でも、お父さんのタバコでも、何でも自由に手に入ります。お母さんはいつも、おばあちゃんのところに送ってあげたいと言っています。家族で耕している畑はとても広くて、30ヘクタールもあります。土地をおこすのも、大きなトラクターで全部おこしていくので、人間は種をまくぐらいのものです。あんな大きなトラクターは内地でも見たことがないとお父さんが言っています。私たちのお家にはガスも水道もお風呂もあります。内地では考えられないくらい豊かな生活です。冬は氷点下30度になり、大地は地下60センチまで凍ってしまいますが、家の中は暖房が効いて暖かいです。春になると花々が一斉に咲き、おばあちゃんに見せてあげたいほど美しいです。お父さんやお母さんは、毎日真っ黒に日焼けするまで畑を耕しています。満ももう生まれて半年になりました。みんな元気で、助け合って生活しています。どうか心配しないでくださいね。おばあちゃんも体に気を付けて元気で過ごしてください。陽子」
母親:うん、よく書けてるね。おばあちゃんも喜ぶよ。
(突然、空襲警報。二人不安げに寄り添って立つ。下手から藤原が慌てて登場)
藤原:先生、先生、大変だ。(父親、上手から登場)
父親:藤原さん、今の空襲警報はいったい・・・。
藤原:ソ連が、ソ連が攻め込んで来たらしいんです。
父親:何ですって。それは確かな話ですか。
藤原:ハルピンの警察に電話して確かめました。間違いありません。9日の朝突然攻め 込んできたらしいんです。ハルピンの方も大騒ぎらしくて、なかなか電話がつながりませんでした。(上手から赤ん坊を背負った母親と陽子、不安げに登場)
父親:9日。もう6日も前の話ですか。国境から遠いとはいえ、ここもすぐに戦場になりますね。(振り向いて家族に気付き)これからどうするか、開拓団みんなで決めないと・・・。藤原:とにかくわしらの班の家に知らせてまわらんと。あとで団長さんから連絡がくるはずだから、とりあえず荷物の整理だけはしておいたほうがいいですよ。
父親:ええ、ありがとうございます。
母親:ごくろうさまです。(藤原下手に去る)
陽子:お父さん、ソ連が攻めてきたって・・・、戦争になるの?
父親:おまえ達は何も心配することはないんだよ。日本には関東軍がひかえてる。ソ連の軍隊なんか一歩だってこの満州に近付けやしないさ。さあ、あっちへ行っておいで。
陽子:はい。(上手へ去る)
母親:どうなるんでしょう。私達これから。
父親:戦争になれば、ここも戦場になるだろう。逃げるにしても、戦うにしても命がけになるのはまちがいない。
母親:陽子や満はどうなりましょう。
父親:おまえ達を危険な目にあわせて本当にすまない。おまえ達のことは命にかけても守るつもりだ。
母親:いえ、私はいいんです。お父さんを信じてついてきたのですから。でも、陽子や満だけは守ってやりたくて。
父親:満はまだ生まれて半年の赤ん坊だ。死なせてなるものか。どんなことがあっても、 必ず無事に日本に連れて帰ってやろう。
母親:よその家では、頼りになる男はみんな兵隊にとられてさぞ心細いでしょう。うちではお父さんがいてくれるだけで、どれだけ心強いか。(吉岡下手から登場)
吉岡:先生、話は聞いてくれたですか。
父親:ああ、団長さん。藤原さんから聞いたばかりです。まあ、どうぞ。(2人椅子に腰掛ける。母親お茶の用意をして差し出す)
吉岡:先生、これはここだけの話ですが、ハルピンからの情報によれば、チチハルがソ連軍に空襲されたそうです。ハルピンがそうなるのもすぐでしょう。
父親:関東軍は、関東軍はどうしたのです。まさか負けるなどということは。
吉岡:それが、関東軍は、戦わずして南に退却したというのです。
父親:そんなばかな(絶句)。27万の開拓団員たちを見捨てて逃げ出したというのですか。吉岡:南に退却してソ連軍を迎え打つのだそうです。
父親:それじゃあ、ここにいる私達は一体どうしろと。
吉岡:自力脱出せよ、という命令です。
父親:そんなむちゃな。それは死ねというのと同じですよ。年寄りや女、子供ばかり2000人もいるこの開拓団に、どうやって安全な場所まで逃げろというのです。
吉岡:先生の言うとおりです。しかし、とにかく、私達は自分達の力でこの窮地から抜け出さねばならんのです。そこで、先生に脱出の方法を相談したいのです。ソ連軍がやってきて、関東軍がいなくなったとなれば、今まで日本人の言うままだった満人や朝鲜人 が、どんな仕返しをしにくるやもしれません。私達は大海に浮かぶ小船のようなもので す。状況は絶望的です。けれど私には団長として、ここの開拓団2000人の命を守る 義務がある。先生に助けてもらいたいのです。
父親:もちろんです。私に出来ることならなんでもやりましょう。
吉岡:ありがとうございます。(藤原下手からうろたえて登場)
藤原:団長、ここでしたか。日本が、日本が、負けました。無条件降伏です。(天皇玉音放送)

<場面3>  ・・・厚生労働省(中央に孤児、右手に榎本が座っている)

係官:あなたはまだ幼かったのでしょうから、記憶にあやふやなところがあるかもしれませんが、あなたが覚えているどんなことでもいいですから話して下さい。(BGM「ピアノ協奏曲23番」)(パワーポイントの映像で満州開拓団の写真)
孤児:ソ連軍が攻めて来たとき、私の家族は開拓団の学校の部屋の中にいました。お父さんと二人のお兄さんは外に出ていていませんでした。部屋にいたのはお母さんとお姉さんとわたし。最初にドーンと物凄い音がして、部屋のガラスが全部割れました。お母さ んが「外にいっちゃ駄目、危ない」。そう言って何度も止めようとしました。でも私は 怖くて外へ飛び出したんです。そのとき、外に開拓団の人が一杯いました。村の回りの 壁の外を見ると、ソ連兵がもう一杯いました。ソ連兵が村の中へ入ってきたのはお昼ごろでした。大砲を撃ってから、今度は小さい銃でダグダダ、ダグダダ、女も子供も生きているものは皆撃ち殺しました。ソ連兵が入ってくる少し前、銃をもった18才ぐらい の男の人の回りに、女の人が一杯集まって、その男の人に「早く私を殺して」そう言って頼んでいました。男の人は二人の女の人を撃って、そして最後は自分も「天皇陛下万 歳」って叫んで自決しました。そこへソ連兵が来たので、私はその人の体の下へ隠れました。その人は血だらけで、その血で私の顏も血だらけになりました。ソ連兵が近付いてきて、そして鉄砲の先についている刀で私のシャツを切り裂きました。私はもう何 もわかりませんでした。死んだのも同じでした。気がついたらもうソ連兵は近くにいま せんでした。日本人の一杯いる家に火をつけて、ぼんぼん燃えているのが見えていまし た。あちこち歩いているうちに小さい赤ちゃんを連れた若い奥さんに会いました。25才ぐらいだったと思います。私はどうしていいかわからなかったので、その奥さんのあとをついて歩きました。少し歩いて、みんなが殺された村の南の方の畑の中に来たとき、 3人のソ連の兵隊が来るのが見えました。捕まると殺されるのがわかっているから、私 はすぐに近くのコーリャン畑に逃げました。その奥さんが兵隊に捕まるのが見えました。 奥さんは一生懸命「子供がいる。許して下さい。助けて下さい」そんなふうに大きな声 を出しているのが聞こえました。でも駄目でした。子供が泣いている、そのそばで3人 の兵隊に次々に強姦されました。私は8才だったけれど、強姦されるということの意味 がわかっていました。最後の一人が鉄砲についている刀で奥さんの腹を刺して殺しまし た。私はそれを近くのコーリャン畑の中から見ていました。兵隊は泣いている赤ちゃんをそのままにして行ってしまいました。私はどうすることもできずに、その赤ちゃん を、死んでいる奥さんの胸元へおいてやりました。(幕間BGM「砲弾の音」)

<場面4>・・・山の中(疲れ切った集団が下手より登場)

吉岡:皆さん、少し休みましょう。随分列が伸びてしまいました。
藤原:(前後に向かって叫ぶ)休憩。休憩して下さい。(それぞれ、思い思い に腰を下ろす)
父親:陽子、かわいそうに、疲れただろうね。
陽子:私より、満がかわいそう。お母さんが自分の食べ物まで私にくれるから、お乳がでなくって、満はもう泣く元気もないの。
母親:せめてお粥でもおもゆでも食べさせてやれれば。
藤原:大人だってコーリャンなんかじゃ命がもたないのにね。
父親:何とか米でも手に入る方法があれば・・・。
藤原:この前は近くの畑に忍び込んで作物をとろうとした団員が、満人に捕まって殺され たそうですよ。
母親:私達に何の罪があるんでしょう。日本にいたって貧乏のどん底で、満州へいけばちょっとは楽な暮らしがあるんじゃないかと思ったのに。
父親:私達は気がつかなかったけれど、私達の住んでいた家も、畑も、元はといえば満人や朝鲜人のものだったのを、日本の軍隊が無理やり取り上げた。どちらも貧しい農民で あることにかわりはないんだよ。
藤原:ここは、お国の何百里、離れて遠き滿州の・・・。ソ連の兵隊は女とみれば強姦する。満人や朝鲜人達は武器をもって襲って来ては、身ぐるみはいで持って行く。さらわれた子供も大勢いる。今の問題は自分の命を自分でどう守るかってことですよ。
吉岡:先生、ちょっといいですか。 ’
父親:ええ。
吉岡:ここ数日で、団員の数は500人に減っています。ソ連の飛行機に銃擊されたうえ、 昨日は3度も土民の襲撃にあって、体力のない子供や老人は次々と落伍しています。恐 怖と飢えと疲労の限界です。もう食べ物も底をついて、こうなったら危険を承知で街へ 出て行かなければ、全員が飢え死にするしかない。どう思います。
父親:少なくとも街へでれば襲撃されることはないでしょう。けれどソ連兵に捕まればソ連に連れて行かれて、二度と日本に帰れなくなるかもしれません。
吉岡:私ももう疲れたのです。収容所へいけさえすれば、私は団長としての責任から解放される。
父親:団長、あなたを責めようとは思いません。あなたは今まで十分に責任を果たしてこられた。あなたがそう考えられるなら私は反対しません。
吉岡:そうですか。(突然銃声。団長腕を撃たれて倒れる。悲鳴。中国人の匪賊、上手から登場。手に手に銃を持っている)(BGM赤ん坊の泣き声)
匪賊1:ルークォ ファンカン シャー(抵抗すれば殺す。)ナータ シンリ クァンプ ナータオ(持っている荷物全部もらってく。)(匪賊2、身の回りのかばんや包み、着ている服まで脱がせる。母親からおんぶ紐も奪う)
母親:それは(父親が制止する。陽子が飛び出る)
陽子:返して。
父親:陽子、よせ。(陽子、匪賊1に捕らえられる。陽子の悲鳴「お母さん」)
母親:陽子。
父親:やめろ。子供を離せ。(父親が飛び掛かるのを匪賊1が父親に向けて発砲。悲鳴。暗転)

<場面5>・・・厚生労働省(BGM「アメージンググレイス」フェイドイン)

係官:(立って調書を読んでいる)夫を殺され、陽子を奪われた彼女はもはや生きる望みを失い、何度も満と一緒に死のうとした。青酸カリを乳首に塗って満に吸わせようとし たが、飢餓の一歩手前であるはずの満が、そのときだけは決して乳房を吸おうとせず、 顔をそむけるばかりだった。彼女はその満の生きようとする力に引きずられるようにし て、のろのろと避難民の列の最後についた。その一歩一歩は、まるで足に重い石をつけ たように苦しい歩みであった。ソ連軍に対する恐怖におののき、土民の襲撃にさらされ、 木の実を食べ、時に畑近く下りて生カボチャやキュウリを盗み、まだ大切に持っていた生米を一粒ずつかじってロうつしで食べさせて飢えをしのいだ。ほかの幼児は消化不 良と栄養失調で次々に死んでいった。弱り切った老人や女たちが、木の根を枕に眠った ように横たわったまま置き去りにされていくのをいくつも見た。死んだ我が子をいつまでも背負って歩いていた母親が、もう我が身がもたないと、たまりかねて、放心したような姿で我が子を川のなかに投げ込むのも見た。それを見たほかの子供が、背負われて いる母親の背中で「母ちゃん、ぼくはまだ死んでいないよ。捨てちゃいかんよ」と半分 死にかけているか細い声で、骨ばかりになった青白い腕で必死にしがみつくのを、彼女 は見た。彼女を生かしているものはただ満を死なせてはいけないという悲壮な思いだけ だった。(暗転。BGMフェイドアウト)

<場面6>・・・安の家
(乞食のようにさまよい歩いている母子。疲れはて思わず座り込む。ちょうど家の前を通りかかった安が気付き声をかける)

安:大丈夫ですか。(母親答えない)
安:しっかりして。ここは私の家だから、さあ、しっかり。
(二人家の中へ。母親を座らせ、茶を飲ませるなどして介抱する)
母親:ありがとうございます。でも私より、この子に何か食べ物をお恵みください。
安:(満 を抱く)まあ、かわいそうに。こんなにやせて。いま重湯を飲ませましょう。
安:さあ、お飲みなさい。いい子ね。(満に飲ませる)
母親:ありがとうございます。こんなに親切にしていただいて。
安:いいのよ。たいしたことじゃないわ。それにしても、よく生きてこられたものね。この赤ちゃんはよっぽど生命力が強いのよ。
母親:何度もうだめだと思ったことでしょう。でもそのたびにこの子に生きる力を与えられてきて・・・。
安:かわいい子よ。ほら、少し笑った。
母親:どうして、どうしてこんなに優しくしてくれるのですか。私達はあなたの国を奪って、どれほどひどいことをしてきたか。(BGM「アルビノーニのアダージョ」)
安:そうです。日本人はこの中国でとてもひどいことをしました。私のお父さんも日本の 兵隊に連れていかれました。お母さんと私は何度も何度も警察へ行って帰してくれって 頼みました。でも「お前の父親はスパイだ」って言って相手にもされませんでした。1週間後、警察から引き取りに来いと連絡があって・・・。お父さんは生きては帰れませ んでした。それから、スパイの死体は墓に埋葬してはいけない、許可があるまで家の前 に野ざらしにしろ、といわれました。この前の道の上に横たえたまま、3日も4日も過 ぎ、腐ってひどい匂いがする遺体を、お母さんと私は黙ってみているしかありませんで した。お母さんはその辛さに病気になり、日本人を恨んで死んでいきました。
母親:何とも申しようがありません。今私達がこんな目にあっているのも、もともと日本人がしてきたことの報いなんでしょう。
安:いえ、それは違うと思います。中国でも、日本でも心の正しい人は大勢います。そして犠牲になるのはいつもそんな弱く正しい人々なのです。あなたやこの赤ちゃんに何の 罪がありましょう。悪いのはあなたがたをこんな辛い目にあわせた一部の人達なのです。
母親:(泣く)
安:大丈夫ですか。
母親:ええ・・・、あまりに辛すぎて、悲しすぎて、もう泣くことも忘れていました。今あなたの言葉を聞いて、人間らしい気持ちを少し取り戻せたように思います。
 安:生きて、きっと生きて日本に帰るのですよ。(BGM OFF)
母親:あなたのご親切は一生忘れません。あなたのお名前は?
安:私は・・・(下手から突然ソ連兵が現れる。安は満を抱き締めて立つ。母親も恐怖に 脅えた顔)
ソ連兵1:ズドラースト ヴィチェ「おい」
ソ連兵2:(安に向かって)スプラーシーチ「質問がある」クトー エータ「こいつは誰だ」ソ連兵1:(母親に)イポーニー エータ イポーニ イポーニ「こいつは日本人だ」
(ソ連兵2が母親を捕える)
母親:満!(ソ連兵、満を見る)
安:だめ、言っちゃだめ。この子まで連れていかれる。(ソ連兵に向かって)チョウシ ウオタハイツ!この子は私の子よ。(BGM「赤ん坊の泣き声」)
ソ連兵1:(ソ連兵2に)イスカーチ イポーニー「日本人を捜すぞ」
(母親、ソ連兵に連行される。後ろを振り返り振り返り)
母親:満、満をお願いします!満!満!(暗転。中幕閉じる。)(BGM中島みゆき「髪」)(パワーポイントによる映像で戦後70年の日本の歴史)

<場面7>・・・厚生労働省(中央に満が座っている。右手に榎本)

満:敗戦のときまだ乳飲み子だった私には、日本の家族のことはよくわかりません。母は 私の養母の家でソ連兵に連行され、その後、養母が調べて回ったものの、行方を知ることはできなかったそうです。生きているのか、死んでいるのかわかりません。私の日本 名はミツルです。母がそう呼んでいたと教えられました。衰弱して今にも死にそうだった私を育ててくれた養母は数年前になくなりました。自分の人生を犠牲にしてまで、敵国日本人の子供である私を育ててくれた恩は決して忘れられません。私が日本人の子供 であることで、差別されいじめられても、養母は私に日本人である誇りを捨てるなと言 い続けました。生きているなら、母も私を捜してくれているでしょう。きっと会えると 信じています。
係官:安さん。あなたの記憶に一致する婦人がいらっしゃいます。今日はここにお呼びしています。ぜひ対面をしてください。
満:本当ですか。
係官:ええ、あの方です。(母親、下手から登場。二人対面する)
母親:安さん、いいえ満、そう満よね。
満:お母さんですか。
母親:ああ、間違いない。その顔。お父さんの若いころの表情と同じ。(泣き崩れる)
満:(ひざまづいて)お母さん、会いたかったです。(BGM「アヴェマリア」)
母親:どれだけあなたのことを捜したことか。会いたくて、会いたくて。1日だってあなたのことを忘れたことはありませんでした。夢のようです。
満:私も信じられません。生きて会えるとは思っていませんでした。
母親:あなたを、あなたを育ててくれたお方は?
満:マーマは死にました。でも私を一人前の大人に育ててくれました。感謝してもしきれ ません。
母親:私があのときあなたを預けた方、あの方?
満:そうです。マーマは一生懸命お母さんを捜しました。お母さんは私を置いて、一人で日本に帰ったのですか。
母親:いいえ、違うわ。そんな、決してそんな・・・。あなたと別れて、収容所に入れられてから、私は重い病気にかかりました。そしていくつかの病院に移されたあと、その まま赤十字の船で日本の病院に運ばれていたのです。ほとんど意識のなかった私は、あなたやあなたのお姉さんのことも考えられず、やっと回復したときには、もう日本と中 国の国交は断絶して、あなた達を捜す方法すらありませんでした。後悔と自責の念ばかりで生きてきました。あなた達を連れて帰ると、お父さんに約束したのに・・・。いっそあのとき満州で死んでいたらと、何度も何度も泣きました。
満:お母さん、もう言わないでください。私達はこうして再会できたのです。長い人生を 後悔だけで生きてきたのですね。でも、これからは私がお母さんのそばにいます。私が 親孝行します。これまでの分も、そしてみんなの分もいっしょに、これからの人生を生きましょう。
母親:満!(スポット消える。係官にのみあたる)
係官:多くの犠牲者や孤児たちを生んだ、この満州という偽りの国を作り上げたのは、まぎれもなく日本人でした。日本の軍部はソ連への足掛かりとして、中国の東北部に、日本 人による植民地を建設しました。そこは中国人や朝鮮から移民した人々が、血と汗で築きあげた農地であったのです。軍はそうした人々からただ同然で土地を取り上げ、彼ら を小作人として利用したのです。この満州に入植したのは、日本では食べていけないような貧しい人々が大半でした。貧しいからこそ、新しい土地に希望を託したのです。彼 らの行く末は悲惨なものでした。しかし、それを「戦争だったから」という理由で片付けてしまっていいのでしょうか。いつの世にも、苦しむのは常に貧しく正直な人々であることを思うとき、この悲劇の後ろにある戦争の責任を、私達は決して見過ごしては いけないのだと思います。70年。私たちは戦争を知らない子ども達として生きてきました。そして、この先、50年後も100年後も、私たちの子どもも孫も、戦争を知らない子ども達として育っていくこと。それは、今を生きている私たち自身の責任なのです。戦争に悪い戦争も、正しい戦争もありません。この国が、二度と再び戦争の惨禍に苦しむことがないように、二度と再び国民を戦争に向かわせるようなことを私たちは絶対に許してはならないのです。(BGMフェイドアウ卜)

メイキングピクチャー(BGM「LAST SONG」家入レオ)