Ⅰ 文学的文章編
┌──────────────────────────────────────┐
│「はしれメロス」(太宰治)授業シナリオ
│
└──────────────────────────────────────┘
・教材「はしれメロス」について
シラクスの町にやってきた羊飼いのメロスは、人を信じられない王によって多くの人が殺されていることに激怒し、王を殺そうと城に乗り込み捕縛される。磔にかかろうとするメロスは妹の結婚式のために3日の猶予を願い、竹馬の友セリヌンティウスを人質とする。人を信じない王は、裏切られた友を磔にする日が来ることに残忍な喜びをおぼえる。メロスは友との約束を果たすため、不眠不休で走り続ける。濁流、山賊、心身の疲弊、フィロストラトスの甘言。メロスを阻むものが次々に立ちふさがるが、メロスはついにそれらに打ち勝ち、磔にかかろうとする友の両足にすがりつく。その姿を見た王は、人を信じられなかった自分を恥じ、どうか仲間に入れてくれと、言うのである。
1、シナリオ化にあたって考えたこと
すべての教科書会社が取り上げている中学2年の定番文学教材である。それほどの魅力がこの教材にあるということである。誰もがこの教材を授業しなければならないし、先行実践の報告書はそれこそ山のようにある。
わたしは、そうした先行実践の後追いをしようとは思わない。わたしはこの授業を4時間(読みや意味の学習時間は含まない)、4つの課題で構成した。この4つの課題を解決する過程を通して作品の主題に迫り、人間としての生き方を読み味わわせたい。
これら4つに共通することは、「対比・対立」で授業を構成した、という点である。「対比」や「対立」を授業の中に意図的に取り入れることによって授業を活性化させることができる。意見の対立がある授業は(授業者がうまくコントロールすれば)とても楽しい。授業を構成するときに、わたしが常に意識して取り入れている有効な授業技術の一つである。
「対比・対立」を取り入れた4つの課題は次の通りである。
第1次 題名読み
『走れメロス』には原作がある。フリードリヒ・シラーによる『人質』という題名の詩がそれである。それなのに実作者である太宰治は『人質』という原題を採用しなかった。作品の内容を考えれば『人質』という題名でも十分のように思える。作者はなぜ『走れメロス』という題をつけたのか。それらの題名と対比させることにより、『走れメロス』という題名がどのような効果を持つのか、を読み深めることで作品の主題に迫る。
第2次 メロスの行為について考える
処刑されるために、友の命を救うために刑場へと走るメロス。そのメロスが遂に力尽き倒れ伏してしまう場面がある。そこから再び立ち上がり走り出すまでは、この作品の最も重要な葛藤が描かれている場面であるが、この場面でもしメロスが約束を破り、逃げ帰ったとしたらどうだろう。メロスの行為として考えられるこの2つを比較することによってどのようなことがみえてくるだろうか。
第3次 なぜ走るのかについて考える
肉体的、精神的挫折から立ち直ったメロスは刑場に向かってひた走りに走る。もう迷いはない。口から血を噴きながらも走り続けるメロスに作者は最後の試練を与える。セリヌンティウスの弟子フィロストラトスの出現である。
刑場に向かい必死になって走り続けるメロスに対してフィロストラトスは「走るな」と言うのである。これはどう考えてもおかしな話である。「間に合わぬから走るな」と言う。なぜメロスの応援者であるべきはずのフィロストラトスがこのような行動をしたのであろうか。フィロストラトスに、少しでも早く行き着けるよう馬や馬車でも用意させるという方法もあったはずである。そういう描写の可能性を捨て、逆にフィロストラトスにメロスの行く手を阻ませた。このことを追求することで、なぜメロスが走るのか、ということを明らかにすることができる。
第4次 王の改心について考える
この場面、暴君ディオニスはセリヌンティウスの縄を解かせ、約束通りメロスを磔にさせることも出来た。メロスと王はそのように約束したのであるから、王はそうしても一向に構わなかったはずである。しかし、王はそうしなかった。王がメロスを磔にしたとしたらどうなるだろう。この小説で突き詰められたのはなんだったのか、それを明らかにすることができる。
2、第1次の授業シナリオ (C→生徒)
01:前回、全文を通読して、主な場面ごとに全体を8つに分けました。
①メロスが王を殺そうとする場面
②セリヌンティウスを人質にすることになった場面
③結婚式の場面
④濁流の場面
⑤山賊の場面
⑥肉体疲労の場面
⑦フィロストラトスの場面
⑧結末の場面
この8つの場面から、授業では題名と⑥⑦⑧の3つの場面について深く読み進めていこうと思います。
今日は、まず題名について考えてみましょう。(シラーの『人質』を配布)
<資料>
暴君ディオニスのところにメロスは短剣をふところにして忍びよった。警吏は彼を捕縛した。「この短剣でなにをするつもりか?言へ!」険悪な顔をして暴君は問ひつめた。「町を暴君の手から救ふのだ!」「傑になってから後悔するな」「私は」と彼は言った。「死ぬ覚悟でゐる。命乞ひなぞは決してしない。ただ情けをかけたいつもりなら三日間の日限をあたへてほしい。妹に夫をもたせてやるそのあひだだけ。その代り友達を人質として置いてをこう。私が逃げたら、彼を絞め殺してくれ」それを聞きながら王は残虐な気持で北叟笑んだ。そして少しのあひだ考へてから言った。「よし、三日間の日限をおまへにやらう。しかし猶予はきっちりそれ限りだぞ。おまへがわしのところに取り戻しに来ても彼は身代りとなって死なねばならぬ。その代り、おまへの罰はゆるしてやらう」さっそく彼は友達を訪ねた。「じつは王が私の所業を憎んで傑の刑に処すといふのだ。しかし私に三日間の日限をくれた。妹に夫をもたせてやるそのあひだだけ君は王のところに人質となってゐてくれ。私が縄をほどきに帰ってくるまで」無言のままで友を親友は抱きしめた。そして暴君の手から引き取った。その場から彼はすぐに出発した。そして三日目の朝、夜もまだ明けきらぬうちに急いで妹を夫といっしょにした彼は気もそぞろに帰路をいそいだ。日限のきれるのを怖れて。途中で雨になった。いつやむともない豪雨に山の水源は氾濫し小川も河も水かさを増しやうやく河岸にたどりついたときは急流に橋は浚はれ轟々とひびきをあげる激浪がメリメリと橋衍を跳ねとばしてゐた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまはしまた声をかぎりに呼びたててみたが繋舟は残らず浚はれて影なく目ざす対岸に運んでくれる渡守りの姿もどこにもない。流れは荒々しく海のやうになった。彼は河岸にうづくまり、泣きながらゼウスに手をあげて哀願した。「ああ、鎮めたまへ、荒れくるふ流れを!
時は刻々に過ぎてゆきます、太陽もすでに真昼時です、あれが沈んでしまったら町に帰ることが出来なかったら友達は私のために死ぬのです」急流はますます激しさを増すばかり。波は波を捲き、煽りたて時は刻一刻と消えていった。彼は焦燥にかられた、つひに憤然と勇気をふるひ咆え狂ふ波間に身を躍らせ満身の力を腕にかけて流れを搔きわけた。神もつひに憐愍を垂れた。やがて岸に這ひあがるや、すぐにまた先きを急いだ。助けをかした神に感謝しながら―。しばらく行くと突然、森の暗がりから一隊の強盗が躍り出た。行手に立ちふさがり、一撃のもとに打ち殺そうといどみかかった。飛鳥のやうに彼は飛びのき打ちかかる弓なりの棍棒を避けた。「何をするのだ?」驚いた彼は蒼くなって叫んだ。「私は命の外にはなにも無い。それも王にくれてやるものだ!」いきなり彼は近くの人間から棍棒を奪ひ「不憫だが、友達のためだ!」と猛然一撃のうちに三人の者を彼は仆した、後の者は逃げ去った。やがて太陽が灼熱の光りを投げかけた。つひに激しい疲労から彼はぐったりと膝を折った。「おお、慈悲深く私を強盗の手からさらには急流から神聖な地上に救はれたものよ。今、ここまできて、疲れきって動けなくなるとは愛する友は私のために死なねばならぬのか?」ふと耳に、潺々と銀の音色のながれるのが聞こえた。すぐ近くに、さらさらと水音がしてゐる。じっと声を呑んで、耳をすました。近くの岩の裂目から滾々とささやくやうに冷々とした清水が涌きでてゐる。飛びつくやうに彼は身をかがめた。そして焼けつくからだに元気をとりもどした。太陽は緑の枝をすかしてかがやき映える草原の上に巨人のやうな木影をゑがいてゐる。二人の人が道をゆくのを彼は見た。急ぎ足に追ひぬこうとしたとき二人の会話が耳にはいった。「いまごろは彼が磔にかかってゐるよ」胸締めつけられる想ひに、宙を飛んで彼は急いだ。彼を息苦しい焦燥がせきたてた。すでに夕映の光りは遠いシラクスの塔楼のあたりをつつんでゐる。すると向ふからフィロストラトスがやってきた。家の留守をしてゐた忠僕は主人をみとめて愕然とした。「お戻りください!もうお友達をお助けになることは出来ません。いまはご自分のお命が大切です!ちやうど今、あの方が死刑になるところです。時間いっぱいまでお帰りになるのを今か今かとお待ちになってゐました。暴君の嘲笑もあの方の強い信念を変へることは出来ませんでした」「どうしても間に合はず、彼のために救ひ手となることが出来なかったら私も彼と一緒に死のう。いくら粗暴なタイラントでも友が友に対する義務を破ったことを、まさか褒めまい。彼は犠牲者をニつ、屠ればよいのだ。愛と誠の力を知るがよいのだ!」まさに太陽が沈もうとしたとき、彼は門にたどり着いた。すでに磔の柱が高々と立つのを彼は見た。周囲に群衆が撫然として立ってゐた。縄にかけられて友達は釣りあげられてゆく。猛然と、彼は密集する人ごみを搔きわけた。「私だ、刑吏!」と彼は叫んだ。「殺されるのは!彼を人質とした私はここだ!」がやがやと群衆は動揺した。二人の者はかたく抱き合って悲喜こもごもの気持で泣いた。それを見て、ともに泣かぬ人はなかった。すぐに王の耳にこの美談は伝へられた。王は人間らしい感動を覚えて早速に二人を王座の前に呼びよせた。しばらくはまぢまぢと二人の者を見つめてゐたがやがて王はロを開いた。「おまへらの望みは叶ったぞ。おまへらはわしの心に勝ったのだ。信実とは決して空虚な妄想ではなかった。どうかわしをも仲間に入れてくれまいか。
どうかわしの願ひを聞き入れておまへらの仲間の一人にしてほしい」
02:これは太宰治がこの小説を書くきっかけとなった、フリードリヒ・シラーという詩人の『人質』という詩です。読んでみます。
・長い詩なので、授業者が範読する。
03:どうですか。
C:まるで一緒やん。ぱくったみたい。
・生徒はみんな同様の感想を持つだろう。しめしめ、である。「ぱくった(盗作した)」とは言葉は悪いが、内容に差がないということを認めた言葉である。太宰治はただ単にこの詩を小説化したのではない。しかし、生徒たちがそのような感想をもてば、授業の最初と最後で読みの向上的変容を促すことができる。
04:ぱくった、って意見が出たけど、そうだろうか?シラーが書きたかったことと、太宰が書きたかったことは同じだろうか?
・ワークシート
「シラーが書きたかったこと」・・・
「太宰が書きたかったこと」・・・・
05:2人はそれぞれ自分の作品を通して、どんなことを読者に訴えたかったんだろう。これを作品の「主題」といいますね。その主題はなんだろう。簡単な言葉で表してみましょう。5分あげます。ワークシートに書いてください。
・いきなりこの発問は難しすぎる。それは承知である。書けなくていい。考えることが大切なのだ。ただし、手も足も出ない、というのは好ましくないので、説明を補足する。
06:例えばさ、戦争をテーマにした小説なら、「平和の尊さ」とか「戦争への怒り」が主題になるでしょう。そんな感じでどうですか?なにか書けますか?
・<板書>
主題例・・・「平和の尊さ」「戦争への怒り」
・机間巡視する。シラーの詩に対しては「友情の大切さ」と書けた生徒はいる。しかし二つの作品に差を読み取れないから、太宰にはなにも書けない。それでいい。ニコニコしながら言う。
07:いきなりは書けないよねえ。そりゃあそうだ。ここの欄は空けておこうか。授業の一番最後に書けるかもしれない。それを楽しみにしておこうね。
・向上的変容への期待である。
08:二つの作品の違いを、題名を比較することで考えていこうと思います。シラーがつけた題名は『人質』でしたね。太宰は『走れメロス』。この二つの題名を比べたときに、どんなことがわかるだろう。
・ワークシート
「人質」・・・
09:『人質』という言葉から何を連想しますか?思いつくことを3つ書いてください。
・3つという数字に意味はない。経験から、ただ「書け」と言われるよりも、数を指定されるほうが思考が促されるようである。それでも書けない生徒には机間巡視で励ます。
10:じゃあ、座席順に発表してもらおう。
C:殺されるかもしれない
戦国時代
籠城事件
身代金
ハイジャック
ナイフ
警察
・・・
11:う~ん、生々しいねえ。
C:映画かドラマみたいや。
12:そうなんだよ。「人質」から連想されるものは、事件っぽいんだよ。籠城事件やハイジャックなんて事件そのものやし、ナイフ、警察、身代金も事件がらみやものね。ナイフや、殺されるかもしれないっていうのはすごく緊迫感もあるしね。
・板書
「人質」・・・事件性 緊迫感
13:戦国時代っていうのもおもしろいね。戦国時代は裏切りを防ぐために同盟国から人質をとったんだよね。「人質」は裏切りの代償として殺される。人質になった方はただ信じるしかないから、人質を出した人間には、決して裏切ってはいけない、という義務感みたいなものが生まれるんだ。
・板書
「人質」・・・事件性 緊迫感 義務感
・メロスは義務感のために走るのではない。しかし『人質』という題名では生徒にそのような読みを促してしまう虞が生じる。また、事件性が強調されすぎてしまうきらいがある。「人質」にとられた友を救うために走る、という事件性が表に出過ぎてしまうのである。
14:では「走れメロス」という題名から、なにを連想する?さっきと同じように、思いつくことを3つ書いてみて。君たちはもう内容を知っているけど、出来るだけ中身には関係のないことを連想してね。
・ワークシート
「走れメロス」・・・
・今度は難しい。「人質」には具体性があるから連想もできるが、「走れメロス」は抽象性が高いから、連想しにくい。しかし、これこそが文学作品の本質というべきものである。題名から主題が見えてしまうようでは話にならない。
15:はい。座席順に発表。
C:命令的
強制的
マラソン
コーチ・監督
ムチ
ランナー
・・・
16:「メロス」は人の名前だものね、連想しにくいよ。でも「走れ」からは命令や強制を感じるんだね。コーチや監督、ムチというのも命令や強制の象徴だね。つまり、「走れメロス」という題名から、みんなは命令的なものや強制的なものを感じ取っている。
・板書
「走れメロス」・・・命令 強制
17:じゃあ、質問。メロスに「走れ」と命令しているのは誰?ワークシートに書いて。
・ワークシート
メロスに「走れ」と命じたのは誰か
・これははっきり作品の中に答えがある。しかし、最初の段階ではそれを明らかにせず、生徒たちに自由な想像をさせてみる。
18:さて、では座席順に発表してもらおう。
C:神様
メロスの中の内なる声
作品を読んでいる読者
セリヌンティウス
シラクスの町の人たち
王様
・・・
19:いろいろ面白い答えが出たね。とっても興味深いよ。特に、王様なんて答えはとても意外性があってすばらしいと思う。では、次の質問。
20:これらの人たちは、なんのためにメロスに「走れ」と命令しているの?「~のため」という形で答えてください。
・ワークシート
なんのために走るのか①( ため)
・予想通り「友の命を救うため」「約束を守るため」という解答が多い。もちろんそれぞれによってこの問いに対する解答は違う可能性があるが、すべて認める。
21:いろいろな解答があったね。とてもいい解答もあって感心した。でもね、実はこれにはちゃんと正解がある。教科書にちゃんと書いてあるんだよ。
C:・・ページに書いています。
22:よく知ってたね。それはすごいよ。文章をよく読んでいた証拠だものね。じゃあ、・・ページを開いて。「走れ」と命令したのが誰かが、はっきりするところはどこですか?見つけたらサイドラインを引いてください。
・このように、教科書文中から捜し物をさせるときには、必ず鉛筆を持たせサイドラインを引かせる。こうして動作化することによって全員が同じ土俵で授業を受けていることになるのである。
23:・・君。サイドラインを引いたところを読んでください。
┌──────────────────────────────────────┐
│わたしは信じられている。わたしの命などは、問題ではない。死んでおわび、などと気│
│のいいことは言っておられぬ。わたしは、信頼に報いなければならぬ。今はただその一│
│事だ。走れ!メロス。
│
└──────────────────────────────────────┘
24:「走れ」とメロスに命令しているのは?
C:メロス自身。
25:そうだね。メロスが自分自身に向かって「走れ」と命じているんだね。では何のために「走れ」というのですか?これも同じ所に解答がありますね。ワークシートに書き入れてください。
・ワークシート
なんのために走るのか②( ため)
・同じ所に解答がある、と言っているのである。それ以外の解答は認めない。
26:・・さん。読んでください。
・ワークシート
なんのために走るのか②( 信頼に報いる ため)
27:「わたしは信じられている」とも書いてありますね。メロスにとって自分の命は問題ではない。ただ、信じられているから、その信頼を裏切らないためだけに走るんだね。
結果は分からないが、それでもとにかく今は自分を信じるもののために走れ、というのが「走れメロス」という題名に込められたメッセージなんですね。
28:本当は、題名を読んだだけではここまでのことは分からないよね。でも、さっきからみんなに考えてもらったように、「人質」という題名と比べて、「走れメロス」という題名なら、メロスがなんのために走り続けるのか、という作品の主題に関わるような重要なことが暗示されるんだね。
29:では今日学んだことを、次の題のようにまとめてみよう。
┌──────────────────────────────────────┐
│ 「走れメロス」という題名のもつ効果について 氏名( )│
│
│
│
│
└──────────────────────────────────────┘
・この文章の流れから『走れメロス』とはメロスがメロス自身にそう力づけている言葉だと解釈できる。しかし同時に読者である私たちも同じようにメロスに向かって「走れメロス」と叫んでいることに気づかずにはいられない。読者をも作品世界の中に誘い込む巧妙な効果がこの題名から期待できるのである。さらに、「人質」のように作品の内容についての不要な先入観はこの題名からはもたらされない。読者は自分の読みを自分で築いていけるのである。
┌──────────────────────────────────────┐
│「夏の葬列」(山川方夫)授業シナリオ
│
└──────────────────────────────────────┘
・教材「夏の葬列」について
終戦後十数年を経て、彼は学童疎開していた町を訪ねる。その町に彼は忌まわしい記憶を持っていた。同じ東京からの疎開児童であった少女を、戦闘機の銃弾の下に突き出したことによって、少女は重態となった。その後の少女の安否を知ることなく終戦となり、彼は東京へ帰ったが、その事件は彼の心に重苦しい記憶となって残った。再訪したその町で彼は一つの葬列と出遭う。その葬列に飾られた写真には少女の十数年後の面影があり、彼は自分の罪が幻想に過ぎなかったことを喜ぶ。しかし実はその葬列は少女の母親のものであり、母親はあの日少女を殺されたことによって気が触れ、偶然にも彼の再訪の前に川に身を投げて自殺していた。この時初めて彼は自分が二人の人間の死に関わっていたことを知り、もはや自分には逃げ場がないことを悟って町を去っていく。
1、シナリオ化にあたって考えたこと
この教材にはいくつもの展開上の秘密が隠されていて、読みを進めるにつれて明らかになっていく謎解きの緊張感は生徒たちを飽きさせない。展開上次第に明かされていく秘密は次の四点ある。
①まず彼は何らかの過去を背負ってこの町に降り立ったこと。
②少女の安否が明らかにされていないこと。
③葬列の写真が少女のものではないかということ。
④葬列が少女の母親のものであったこと。
これらの秘密は隠されていてこそ次を読もうとする意欲が起きてくる。したがって教材を提示する場合、次はどうなるのだろう、という興味を惹き続けられるような工夫が必要である。
授業にあたって重要なことは、殺人を犯し、その罪を一生背負い続けていこうとする彼の罪の意識にどこまで迫ることができるかという問題である。困難なことはこの教材が「殺人」という非日常な主材を扱っていることにある。自分の所為で二人の人間を死に追いやったという彼の罪の意識を、どこまで読み深めることができるだろうか。
初めの通し読みを行わない。生徒の読解に困難が予想されるところ数カ所に絞られた問題点を、読みの時間の流れにしたがって読み取っていく。
最初からすべての文章を生徒に提示しないから、それをどのような形で提示していくかを工夫する必要がある。有効だと思うのは教育機器(パワーポイント)を利用してスクリーンに教材文を提示してやる、という方法である。この方法がもっとも生徒の興味を惹くであろう。教室の設備環境が許さなければ、黒板の縦幅に拡大したコピーをメインにして斉読(一部は範読)する。プリントにした教材文は最初からは配布しない。生徒の興味を黒板に惹きつけるためである。また生徒にはこの授業のためのワークシートを持たせる。
また、活発な意見の交換を促すために適宜班活動を取り入れ、討論させることによって自分の意見を発表し、他者の意見を参考にする機会を設ける。
授業のポイントとしたのはaで触れた四点についてである。これらの秘密を伏せた四部分の教材文を作成し、順次提示しながら授業を進める。
教材文の持つ魅力によって、生徒がこの教材に興味を持つことは十分予測できる。生徒の予想を裏切る仕掛けがされているから、授業が進むにつれて興味は増していくだろう。展開を予測しながら読みの楽しさを味わわせることは難しい問題ではない。
しかし、期待されているのはこの教材を通して中学二年生としてのどのような読みの力をつけることができるか、という問題である。未来に予想される展開を推理しながら読んでいくだけでは目的は達せられない。少なくとも教室において文学教材を学ぶということの意味の一つは、その文学作品に現れる人物の生き方を通して人としての真実の生き方を読み取るところにあるだろう。
生徒はこの教材を通して、彼の生き方からどのようなことを学び取ることができるだろうか。そしてそのためにどのような授業をすることが必要なのだろうか。
2、授業シナリオ
第一時
1 題名「夏の葬列」を見て、「夏」「葬列」という言葉から連想されるものを発表する。2 ①彼が何らかの過去を背負ってこの町に降り立ったこと。
②少女の安否が明らかにされていないこと。
の部分について予想しながら内容を読み取っていく。
第二時
1 展開の順序にしたがって、
③葬列の写真が少女のものではないかということ。
④葬列が少女の母親のものであったこと。
の部分について予想しながら内容を読み取っていく。
2 最後に彼のその後の行動を予想し、本文との違いを明らかにすることによって、彼の 生き方についての自分なりの考えをまとめる。
第一時の授業シナリオ(C→生徒 CC→複数の生徒)
01 (「夏の葬列」と板書)今からやる教材の題名はこういう題名なんです。・君読んでみて。
C 夏の・・・
02 読みにくい?これはね、葬式の葬です。下は列だよね。だから、
C 夏の葬列。
03 そう、「夏の葬列」というのが題名です。作者は山川方夫という人(板書)。じゃあ、プリントを配ります。名前を書いてください。
はい、それではそのプリントの一番初めのところに「題名読み」と書いてありますね。題名から今から自分たちがやろうとするこの作品の内容がある程度読めないだろうか、というのが「題名読み」です。まず、「夏」からなにがわかる?
CC 暑い、プール、汗をかく。
04 つまり、この小説の舞台となっている季節は秋でもない、冬でもない、春でもない。夏であるということはわかる。
C 季節がわかる。
05 そう、季節がわかる。では「葬列」ですが、「葬列」とは葬式の行列という意味です。今の時代なら黒塗りのタクシーの行列が思い浮かぶでしょうけれど、昔はみんな棺桶を担いで歩いて火葬場に行ったんです。その行列のことだと思ってください。それで、なにがわかる?
C 誰かが死んだ。
06 うん、誰かが死んだ。人の死だよね。つまりこの小説の中で扱われているテーマは「人の死」なんじゃないか、ということがわかるんですね。で、季節が夏で人の死を扱っているとなるとなにを思い浮かべる?
C 戦争の話。
07 そう、そう、よく気がついたね。どうやら「戦争」に関係したお話じゃないだろうか、という予想ができるね。それでは本当にそうなのか、実際に読んでいくことにしよう。
(冒頭部分を拡大した教材文を黒板に貼り、教師の指示にしたがって全員で斉読する)
ー中略ー
┌──────────────────────────────────────┐
│一瞬、彼は十数年の歳月が宙に消えて、自分が再びあの時の中にいる錯覚にとらえら│
│れた。・・・・・・呆然と口を開けて、彼は、しばらくは呼吸をすることを忘れていた。 │
└──────────────────────────────────────┘
08 とありますけれど、この小さな葬列に出会って、どうして彼はこんな状態になったんでしょう。
C 過去を思い出した。
09 今、過去を思い出した、って言ってくれたけれど、じゃあ、どうして葬列に出会って過去を思い出したんでしょうね。さあ、どうでしょう。みんなはここから後の部分を読み進めていくことについてどう思います?興味がありますか、ありませんか。プリントに○をつけてください。興味がある、という人はそっちに○、興味がない、という人は下に○をつけてください。あ、わたしに遠慮しなくていいからね。興味があるかどうかは作者の責任でわたしの責任じゃないから、自分の気持ちに正直に答えてください。はい、どうぞ。
ー中略ー
┌──────────────────────────────────────┐
│「今のうちに、にげるの、・・・・・・何してるの?さ、早く!」ヒロ子さんは、怒ったよ│
│うな怖い顔をしていた。ああ、ぼくはヒロ子さんと一緒に殺されちゃう。ぼくは死ん│
│じゃうんだ、と彼は思った。声の出たのは、そのとたんだった。不意に、彼は狂った│
│ような声でさけんだ。
│
└──────────────────────────────────────┘
10 と書いてますけど、この後彼はなんと言い、なにをしたんだろう。さあ、予想してみてください。相談なし。プリントに書いてください。(数分)なんと言い、どんなことをしたんだろう。自分の意見がないと全然面白くないよ。作者はこの後いったいどんなふうに話を進めていくんだろう。自分が作者になったつもりでお話を進めてください。
11 では、班に分かれましょう。班長さんは自分の班のみんなの意見を聞いて班の意見としてまとめてください。時間は五分です。はい、お願いします。
12 はい、席にもどってください。どんな意見が出たんだろう。楽しみですね。じゃあ、まず一班から。
一班 「死にたくない」とさけんで、一人で逃げた。
二班 「いやだ」と言って、一人で逃げた。
三班 「ぼくたちは死ぬんだ」と言って、一緒に逃げた。
四班 「向こうへ行け」と言って、突き飛ばした。
五班 「死にたくない」と言って、その場に突っ伏した。
13 ありがとう。パターンとしては四つになったんですね。
①「一人で逃げた」
②「一緒に逃げた」
③「突き飛ばした」
④「突っ伏した」の四つ。
どんな展開になることが物語をより面白くしていくんだと思う?それ考えてみようか。自分たちの班の意見に縛られずに自分の意見で答えてみてくれる?どんな展開になるほうが面白いかだよ。一度だけ手をあげて。はい①だと思う人?少数だね。意見としては多かったけど、展開としては面白みに欠けているのかな。じゃあ②は?これも少ない、三人か。一緒に逃げたのでは当たり前すぎるのかな。次③は?あ、これ多い。七人?八人?はい、④。これも多いね。③と同じくらいかな。それじゃあ、実際はどうだったんだろう。次を読んでみようね。(次の場面を黒板に貼る)
┌──────────────────────────────────────┐
│「よせ!向こうへ行け!目だっちゃうじゃないかよ!」「助けに来たのよ!」ヒロ子│
│さんもどなった。「早く、道の防空壕に・・・・・・。」「いやだったら!ヒロ子さんとなん│
│て、一緒に行くのいやだよ!」夢中で、彼は全身の力でヒロ子さんを突き飛ばした。│
│「・・・・・・向こうへ行け!」悲鳴を、彼は聞かなかった。その時強烈な衝撃と轟音が地│
│べたをたたきつけて、芋の葉が空に舞い上がった。辺りに砂ぼこりのような幕が立っ│
│て、彼は、彼の手であおむけに突き飛ばされたヒロ子さんがまるでゴムまりのように│
│弾んで空中に浮くのを見た。
│
└──────────────────────────────────────┘
14 (当たった、とか、ええっ!とかの声)四班の意見がそのままだったね。作者の構想と四班の考えが一致しました。でもみんなの多くもそう思ったように、こんな展開になるほうがより物語を面白くするよね。次の時間もこんな観点で読んでいきましょう。
第二時の授業シナリオ
01 前の時間、みんなの予想に反して、というか予想通りというか、ヒロ子さんは彼に突き飛ばされて重傷を負いましたね。そこで今日はその続きになるのですが、さあ、これ以降も読んでみたいと思いますか、それとも興味はありませんか。プリントに○をつけてください。
ー中略ー
┌──────────────────────────────────────┐
│ 葬列は彼の方に向かってきた。中央に写真の置かれているそまつな柩がある。写真│
│の顔は女だ。それもまだ若い女のようにみえる。・・・・・・不意に、ある予感が彼をとら│
│えた。彼は歩き始めた。
│
└──────────────────────────────────────┘
02 ここは予想が易しいかもしれないね。この時感じた彼の予感とはどんな予感だったんだろう。プリントに書いてください。どうぞ。(机間巡視しながら)やっぱりほとんどの人が同じような答えになってる。こんなパターンでくれば多分こうなるよね。・さん、発表してくれる?
C この葬列はヒロ子さんのものではないか。
03 ありがとう。若干の違いはあるけれど、多くの人がそう読んでいるみたい。じゃあ、本当にそうかどうか読み進めてみよう。
┌──────────────────────────────────────┐
│ 彼は、片足をあぜ道の土に載せて立ち止まった。あまり人数の多くはない葬式の人│
│の列が、ゆっくりとその彼の前を過ぎる。彼は少し頭を下げ、しかし目は熱心に柩の│
│上の写真を見つめていた。もし、あの時死んでいなかったら、彼女はたしか二十八か、│
│九だ。突然、彼は奇妙な喜びで胸が絞られるような気がした。その写真には、ありあ│
│りと昔の彼女の面影が残っている。それは、三十歳近くなったヒロ子さんの写真だっ│
│た。まちがいはなかった。彼は自分がさけび出さなかったのが、むしろ不思議なくら│
│いだった。ーおれは、人殺しではなかったのだ。
│
└──────────────────────────────────────┘
04 どうですか、予想が当たって気分いいですか。小説の面白さというのは作者との対決みたいなところがあるでしょう。この先どうなるかがあんまり分かりすぎてると興味がなくなっちゃいますよね。この話はどうだろう。このまま君らの予想通りに展開していくのかな。どうでしょう。
ー中略ー
┌──────────────────────────────────────┐
│ 「なんの病気で死んだの? この人。」うきうきした、むしろ軽薄な口調で彼は尋│
│ねた。「このおばさんねえ、気が違っちゃってたんだよ。」ませた目をした男の子が│
│答えた。「一昨日ねぇ、川に飛び込んで自殺しちゃったのさ。」「へえ。失恋でもした│
│の?」「バカだなおじさん。」運動靴の子供たちは、口々にさもおかしそうに笑った。│
│「だってさ、このおばさん、もうおばあさんだったんだよ。」「おばあさん? どう│
│して。あの写真だったら、せいぜい三十くらいじゃないか。」「ああ、あの写真か。・│
│・・・・・あれねえ、うんと昔のしかなかったんだってよ。」はなを垂らした子があとを│
│言った。「だってさ、あのおばさん、
│
└──────────────────────────────────────┘
05 さて、このあとどんな言葉が続くんだろう。さあ、自分の意見を書いてみてください。どうぞ。(机間巡視ののち)それでは班で集まってください。班長さんはみんなの意見をまとめて発表できるようにして。(数分後)
06 では一班からいきましょう。
一班 足の不自由な娘と二人だけで毎日大変だったんだよ。
07 ということはヒロ子さんは今生きてるの、死んでるの?
一班 生きてる。
二班 娘がいたんだよ。
08 うん?それで終わり?
三班 ヒロ子さんじゃなかった。
四班 三十歳前の娘がいるんだ。
09 ということはヒロ子さんは?
四班 死んでいない。
五班 ヒロ子っていう人の母親で、ヒロ子さんは足が不自由なんだよ。
10 みんなの意見を聞いていて確認できたことは、この柩の中にいるのはヒロ子さんの母親だった、ということね。じゃあ、ヒロ子さんは今?生きているの?死んでいるの?それを確認しましょう。生きていると思う人は右手、死んでいると思う人は左手、はいどうぞ。生きていると思う人が22、死んでいると思う人が3ね。それでは最後の場面を読みましょう。
┌──────────────────────────────────────┐
│「だってさ、あのおばさん、なにしろ戦争でね、一人きりの女の子がこの畑で機銃で│
│撃たれて死んじゃってね、それからずっと気が違ちゃってたんだもんさ。」 │
└──────────────────────────────────────┘
C ヒロ子さんが死んでしまったから、このおばあさん自殺したんやなあ。
11 そう、十五年後にね。自殺の理由はわからんけど・・・。結局彼は一度はヒロ子さんの死に関係ないと思ったけれど、実は重大な責任があったということがわかったわけね。そして今度はそれだけじゃなくて、ヒロ子さんのお母さんの死にも関係あったということまで知ってしまうことになったんですね。では最後の問題。
┌──────────────────────────────────────┐
│やがて彼はゆっくりと駅の方角に足を向けた。
│
└──────────────────────────────────────┘
12 このあと彼はどうする?もし君らが作者だったらどんなふうにこの物語を終わらせる?このあと彼はどうなる?さあ、書いてみて。
・二人の死の責任をとって自殺した。
・去っていった。
・彼はとぼとぼ歩き出し、どこかに消えていった。
・彼はヒロ子さんの墓に行き、罪を謝った。
・サラリーマンをやめてこの村に住み着いた。
・二人を殺したつぐないに二人のぶんも生きた。
13 自殺した、という意見が圧倒的に多いね。でも、プロの小説家ならどうやってこの後このお話を終わらせるんだろう。そしてそこにどんな意味があるんだろう。読みます。
┌──────────────────────────────────────┐
│ 彼は、ふと、今とは違う時間、たぶん未来の中の別な夏に、自分はまた今と同じ風│
│景を眺め、今と同じ音を聞くのだろうという気がした。そして時をへだて、おれはき│
│っと自分の中の夏の幾つかの瞬間を、一つの痛みとしてよみがえらすのだろう・・・・・・。│
│思いながら、彼はアーケードの下の道を歩いていた。もはやにげ場所はないのだとい│
│う意識が、彼の足どりをひどく確実なものにしていた。 │
└──────────────────────────────────────┘
14 ものすごく難しいことを書いているようだけど、言っていることは次の二つのどちらかなんですよ。
①二人の死の責任は自分にあるのだと知って、その責任をどこまでも担っていかなければならないと決意した。
②二人の死の責任は自分にあるのだと知って、その責任を担うことのしんどさに耐えかねて自殺した。
15 どうでしょう。こんなふうに二つ並べてみるとよくわかりますね。こんなに単純に分けられないかもしれませんけれど、人として彼がこんな生き方を選んだことの意味を考えて、彼の生き方に対する自分の意見をプリントにまとめてください。
・生徒の意見を書かせっぱなしにしてはならない。以下は第三時の実践となるが、班学習で一人ひとりの意見を発表し合い、班長がまとめて報告する、というように、授業の最後では、自分の意見が採り上げられていく場面を作ってやるべきである。
┌──────────────────────────────────────┐
│「蜘蛛の糸」(芥川龍之介)授業シナリオ
│
└──────────────────────────────────────┘
・教材「蜘蛛の糸」について
お釈迦様が極楽の蓮池に咲く蓮の葉の間から下の地獄の様子を見ていると、そこに犍陀多(以下カンダタとカタカナ表記)という罪人がいることに気づいた。カンダタは人を殺したり家に火をつけたり悪事をはたらいた大どろぼうであったが、一度だけ足下の小さな蜘蛛を殺さなかったことがあった。お釈迦様はその善行の報いに地獄から救い出してやろうと蜘蛛の糸を地獄に下ろしてやった。
その蜘蛛の糸に気づいたカンダタは早速その蜘蛛の糸にすがり上り始めたが、途中で、後から大勢の罪人たちが自分の後を追って上ってくるのを見る。そこでカンダタが「この蜘蛛の糸は俺のものだぞ。下りろ。下りろ。」とわめいたとたん、蜘蛛の糸はぷつりと音を立てて切れ、カンダタは真っ逆さまに地獄へと落ちていった。
1、シナリオ化にあたって考えたこと
文学教材の詳細な読みの見直しが提案されて以来、文学教材を詳しく読んでいく授業が誤りであるのか、というとまどいが生まれた。話すこと・聞くことへの比重が重くなって、いっそう「文学を読む」授業はどうあるべきか模索されているように思える。
かつて(平成11年)「科学的な読みの授業研究会」夏季大会で、野口芳宏氏は「全文精読」から「部分精査」の読みを勧めた。「精査」という語が文学に似つかわしくないという感想もあったが、氏の主張するところに私も賛成である。
問題は深く読むことが間違いであるかのような誤りを犯してしまうことにある。文学教材を初めから最後まで同じようにつぶさに読んでいくような授業のあり方が、ともすれば授業を平板化させ退屈にしてきたのである。精読することが誤りなのではない。精読をすることによって初めて教材を深く読み味わう力が育つ。「部分精査」も精読のひとつの方法である。
ところで「部分精査」の読みではどこをどのように取り上げるかということが問題になる。この教材では、論点をクライマックスにおけるカンダタの行為のみに絞る。
主人公犍陀多(以下カンダタとカタカナ表記)の行為を通して作品を読み深めるために討論の授業を計画した。
討論のテーマは「あなたはカンダタの行為を許せるか」である。ご承知のようにカンダタは極楽からお釈迦様が差し伸べた蜘蛛の糸にすがって地獄から逃れようとする。途中同じようにすがりついてくる罪人たちに向かって「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は俺のものだぞ。おまえたちはいったい誰に聞いて、上ってきた。下りろ。下りろ。」と喚く。その結果蜘蛛の糸はカンダタのすぐ上で切れてしまい、カンダタは地獄へ真っ逆さまに堕ちてしまう。この時のカンダタの行為、罪人たちに向かって「下りろ」と喚いたこと、をどう考えるかというのがテーマである。このテーマだけに絞って作品を読んでいく。
このように課題を絞ってしまうと、文学の授業からかけ離れて、道徳の授業とか討論そのものが目的の授業になってしまう恐れがある。常に作品を側に置いて、作品の内容に添った内容から外れてしまわないように留意するのが教師の役割である。
1、授業シナリオ
01 わたしが読みます。鉛筆を持って、いつものように、聞きながら、読めない漢字にはルビを、意味の分かりにくい言葉には線を引いていってくださいね。
・読みは範読によっておこなう。聞きっぱなしで緊張感がなくなるのを防ぐために、ルビを振らせたり、線を引かせる、という作業を与えておく。実際には難意語の説明を入れながら範読していく。
02 なかなか面白い小説だったでしょう。作者は芥川龍之介。聞いたことがあるよね。「羅生門」とか「鼻」とか、他にもたくさんのすてきな小説を書いた、大正時代の作家です。現在でも「芥川賞」っていう有名な文学賞の名前になってる。
03 さて、みなさんはこのお話を読んで、どんな感想をもちましたか?プリントを見てください。「カンダタは落とされてもしかたがない」という選択肢と「落とすべきではなかった」という選択肢がありますね。みなさんはどちらの意見を支持しますか?支持する方に○をつけてください。
・必ず全員に○をつけさせる。机間巡視で確認するなり、最初に立たせて、○をつけたら座らせる、といった方法で確認する。傍観者をつくらない、というのが絶対原則である。
04 では聞きましょう。「カンダタは落とされても仕方なかった」に○をつけた人は右手を、「お釈迦様はカンダタを落とすべきではなかった」に○をつけた人は左手を、さあ、挙げてください。
05 おう、全員が右手ですか!
・全員が一方に偏るということは逆に大逆転の可能性があるということである。授業はそうなるほうが断然面白い。
06 これからびっくりすることを言いますよ。今からね、裁判をします。被告人はカンダタです。みなさんを、自分がどんな意見をもっていたかに関係なく、2つのグループに分けてしまいます。
07 窓側の3列の人たちは「カンダタは落とされても仕方なかった」という賛成理由を書いて下さい。そして廊下側の3列の人たちは「お釈迦様はカンダタを落とすべきではなかった」という反対理由を、プリントにしたがって書いて下さい。時間は5分です。どうぞ。
「カンダタは落とされても仕方なかった。なぜなら、 から」
「お釈迦様はカンダタを落とすべきではなかった。なぜなら、 から」
08 廊下側の人たちは苦しいかもしれませんね。自分の意見と反対のことを書かなければならないから。
・5分後、「まだ書けていない人はいますか」と問う。「書けましたか」とは問わない。もし手が挙がれば、「あと何分欲しいですか」と問い、書き終えた生徒には待つように指示する。
09 では、全員に発表してもらいましょう。意見が重なってもかまいません。まず、賛成側の意見から。
・全員の意見を聞く。授業者は板書せず聞くだけ。
10 続いて反対側の意見。
・こうして全員の意見を出させたあと、授業者による束ね。
11 今のみなさんの意見をだいたいまとめて黒板に書きます。プリントに写して下さい。
<賛成意見>・・・落とされても仕方ない
・
・
・
<反対意見>・・・落とすべきではなかった
・
・
・
12 みんなの意見をまとめるとこうなりましたが、いまこれを聞いていて、もっとこんな理由もあるな、という補強意見はありませんか?こう言ったらもっとよくなる、という意見を考えてください。1人では大変ですので、それぞれのグループの中で自由に話をしてください。誰とでもかまいません。もちろん席は立ってかまいません。自由に移動して、相談して下さい。時間は5分です。
・この自由な意見交換の時間が有効である。賛成、反対それぞれに意見が出尽くしたようでも、こうして自由に話させるといい意見が出てくる。
13 それでは意見のある人は?
賛成側
「自分が助かることだけを考えていいのか。カンダタには自分の罪を償おうという決意がない。蜘蛛の糸を独り占めしようとしていることが悪い。」
反対側
「たとえ悪人であろうと善人であろうと、人は自分の命こそが一番大切である。法律にも「緊急避難」というのがある。自分の命が危ういときに善人も悪人もない。」
14 「緊急避難」なんて難しい言葉が出てきましたね。これはね、たとえば冬山で遭難した時、怪我をして歩けなくなった友達をおいて下山して、1人だけ助かっても殺人罪にはならない、というような法律ね。
15 次は「いじわる反論タイム」!。いま出てきた意見について反論を考えて下さい。どの意見に対してでもかまいません。相手の意見の中で、おかしいな、とか矛盾してるな、とか、思う意見があれば、こんな反論をすれば相手が困るぞ、というようないじわるな反論を考えてください。時間は5分です。
・まず、個人で考えさせる。5分後指示を出す。
16 では、もう一度自由に話し合ってください。これはいい反論だというのを考えてください。こんな反論をすれば相手は困る、というのを。5分です。
・机間巡視でだいたいどんな話をしているのかをつかむ。そして、いい話し合いになっているチームには助言を与え、あとで発表してね、と予告しておく。
16 では反論のある人は?
賛成側
「自分の命が一番大切と言いましたが、母親が子供の命を自分の命より大事だと思うことがあるように、ケースによってそうと言えないこともあるのではないですか?」
反対側
「お釈迦様は、蜘蛛の糸をカンダタのために下ろされたのではないのですか?なのに他の罪人を見捨てたからといってカンダタを切り捨てるのはおかしくないですか?」
17 さあ、難しくなってきたよ。かなり手強い反論がでたね。どうする?言い負かされるのは悔しいよね。こんなふうに言われたらどうやって言い返す?さあ自由に立って相談してください。何と言って言い返しますか?(数分後)
賛成側
「カンダタのために下ろしたとは書いていません。カンダタの心を試すために下ろしたと考えることもできます。」
反対側
「母親が子どもを思う場合と、地獄から抜け出そうと必死になっているこの場合では状況が違います。比べものにはなりません。」
18 なるほどね。じゃあ、最後の反論。これで最後だよ。こう言ったら相手はどうしようもなくなる、というような意見を考えて!
反対側
「自分の命が大事だからカンダタの行為は当然だ、というのは本当に正しいのか。あれだけの悪事を積み重ねた人間が自分だけ助かろうなどとんでもない話だ。自分の命が一番大切なんだけれど、でもどうするかというところにお釈迦様は賭けたのではないか。」
賛成側
「極悪人だからといって他の罪人の命まで一緒に救わなければならないとはいえないでしょう。それはあまりにも要求が高すぎて、どんな人だって無理。」
賛成側と反対側の論点がはっきりしている。
賛成側はカンダタの積み重ねてきた悪事によって、「そこまでしなければカンダタに救いの道はない」、と主張し、反対側はカンダタの行為は人として当然の行為であり、他の罪人を・・・などは「善人にだって不可能な行為」だと主張する。
この授業は、カンダタの行為から人としての生き方を深く学ぼうというのが目的である。ここまでの経過によって、賛成、反対の主張にとらわれずどのような批評が生まれるか、興味のあるところである。
19 席を戻してください。最後の質問です。どちらの意見になってもかまいません。プリントで自分の立場に○をつけて、批評文を書いてください。
賛成側
「カンダタは落とされても仕方なかった。お釈迦様はカンダタを助けてやろうとした。それは間違いない。一匹の蜘蛛の命を助けた行為から、お釈迦様はカンダタに自分の犯した罪をつぐなうほんのわずかな可能性を抱いた。ところがカンダタはあくまでも自分一人が助かりたいというエゴから抜け切れていなかった。改心することができなかったカンダタが地獄に堕ちるのは当然である。」
反対側
「お釈迦様はカンダタを落とすべきではなかった。なぜなら、賛成側がカンダタに求める「自分の命を顧みずに、他人を救う行為にこそカンダタの救いの道がある」など善人にだって難しい行為だからだ。ましてカンダタは地獄で苦しんでいる。そこから逃れようとするカンダタの行為は人間として自然な防衛本能である。」
・この授業ではカンダタの行為に対して是か非かを問うた。すなわちここで問題となったのは読者それぞれの判断であり、思想性である。その思想性が作品の中にあるしかけによって揺すぶられるのである。人間の行為は見方によって是でも非でもありえる。それは自分自身にとっても同様であることを文学作品が教えてくれる。教科書142pの解説にあるように、「一人一人の中にあって日ごろ気づかずにいるもう一人の自分に出会う」のである。
「蜘蛛の糸」は短い物語であるから、ひょっとすれば全文を精読しても3時間で済むかもしれない。しかし、作中人物の行為に論点を絞って読むことによって全文精読では深められない読みができる。さらにこの実践では「話すこと・聞くこと」にも重点が置かれている。「読み」だけに偏った指導ではない。また、このような指導は「書くこと」と結びついて完結すると考える。レポートを書かせる等の指導によってさらに充実した授業にすることができる。